紅い丸窓電車、最後の日々(2005年2月 名鉄岐阜線撮影記)(3) [思い出の名鉄岐阜線]
とうとう、「緊急事態宣言」が出るとか出ないとか。(この記事は予約投稿です)
自分の仕事も「お客様が来ていただけないと、どうすることもできない」業種には
違いなく。ということで、とりあえず、スケジュールを遅らせて、5月の大型連休に
一気に巻き返す...という形にリスケジューリングするとの連絡が。
でも、それとて、実現可能かどうかは分からない。
2011年の震災のとき、東京はそれほど深刻な被害はなかったが、あのときもアレコレ
大変だったのは覚えている。
確かに一時的に流通が止まって、コンビニの棚からパンやめぼしい食品が消えて...
でも、(東京では)日に日に少しずつ落ち着いていくのが感じられたのだった。
いや、もちろん毎日、不安も大きかったし、「計画停電」など大変だったのだが。
それでも東京で暮らしている身としては、“徐々に良くなっていく”と思いながら
頑張ることができた。
でも、今回は違う。先が見えない不安の中で...
もちろん、自分が感染することに対する怖さもあるが、それと同じか、それ以上に
「先が見えない」ことへの不安が大きいのである。
【2019年4月6日13時19分】 いすみ鉄道・小谷松-東総元
ちょうど1年前の<サクラ鐵>の1枚を...
不安だからといって無意味に騒いでも仕方ない。
毎日の食事の中で、いままでつくったことのないメニューに挑戦してみたり、
趣味活動だって...
「早く、撮りに行きたい」と思いながらも...
10冊ほどのネガアルバムを取り出してきて、スキャン済みのものと、まだのもの。
HDDのデータと照合して...、この名鉄岐阜600V線の撮影記を書くことができるのも
“外出自粛”のおかげかも知れない。
自宅でできる小さな楽しみを1つ1つ見つけ出しながら、ただとにかく時間を過ごす
<変態鉄>の日常である。月曜日は朝から晩まで仕事。お客様からの予約申込は
ある程度の数、入っていると報告は受けているが、いやはや...どうなるか。
そうであるからこそ、ブログの方はいつも通りに...
…… ……
最近は「ブログに撮影記を書くつもり」で、毎回の“出撃”をしているので、
撮影時以外も移動中のことなども記録用に写真を撮っているし、記憶も...
でも、この当時、そんなこと全く考えていなかった。
だから、ネガのコマを見ながら、このコマとこのコマの間には何があったか!?
を必死に考えながら書いているのである。
断片的な記憶は、ところどころ鮮明に覚えている。
それをつなぎ合わせようと、アレコレ、考えていると時間だけ経って。
いまさらながら、メモの重要性を思い知るのである。
さて。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
新関駅ではしばらく折返しの停車時間があった。
チャンスを窺っていれば、いろいろなアングルでの記録写真を撮ることもできて。
駅舎とホームの間は下り方にある構内踏切を通るのが一般的だったが、ホームの
すぐ上り方にも踏切があって。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
隣のホームには最新型の部分低床車、モ800形が停車中である。
最新型と大正生まれのツーショット。
余談ながら、モ800形の方向幕の「岐阜」の文字が妙に右にズレている。
これは廃線を目前にした、この2005年1月末に、それまで“新岐阜”駅と
JRと区別するのに「新」を冠していたのが「名鉄岐阜」に改称されたから。
(同時期に“新”名古屋も「名鉄名古屋」に改称された)
美濃町線(田神線)の電車は1ヶ月だけ「名鉄岐阜」駅発着だったのである。
ただ、方向幕を印刷し直すのはムダだと思われたのか、美濃町線電車の行き先
表示は「新」の文字を目隠ししたのが分かる形にされていて。そういうところにも
廃止を控えた、寂しさが...
さらに...
その方向幕。よ~~く見ると「岐阜」の文字の下に何か書いてある。
コレ、「徹明町接続」表示。徹明町発着の電車は日中は野一色電停で折返し。
関方面から市街地中心部の徹明町に向かう人は野一色電停で並んで停車する電車に
乗り換えるシステムである。だからこそ、日中でも野一色-競輪場前間で続行運転が
必ず発生していたのである。
そして...。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
その岐阜ゆきのモ805号車が発車したら、もちろん、このカット。
(でも、画角から考えると、もしかしたら車内から窓越しに撮影???)
すでに、今度、上り電車の先頭になるモ514号車には運転台窓下に続行票が。
…… ……
モ510形の貸切電車に先行する岐阜ゆきで向かったのは上芥見電停。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
岐阜市街地と関を結ぶルートは、いつもクルマの量が多い。でも、国道から
1本外れた旧道を電車は走っていた。だから、いまから15年前と言っても
信じてもらえないような...
狭い道路の片隅に単線の軌道が通る道路併用軌道区間がわずかではあっても
残っていたのだった。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
<変態鉄>としては、当時、いつも上芥見電停の向かい側で撮るようにしていた。
背後に石垣のある簡素なホームを通過して行く電車。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
もちろん、カメラは必死に連写...といっても、廉価版の4桁機種のEOSくん。
モータードライブなど付いているはずもなく。カシャカシャと1枚ずつシャッター
ボタンを押しながら。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
上芥見電停のホームを通過すると電車は左へ少し曲がって...
再び専用軌道区間へと入っていくのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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自分の仕事も「お客様が来ていただけないと、どうすることもできない」業種には
違いなく。ということで、とりあえず、スケジュールを遅らせて、5月の大型連休に
一気に巻き返す...という形にリスケジューリングするとの連絡が。
でも、それとて、実現可能かどうかは分からない。
2011年の震災のとき、東京はそれほど深刻な被害はなかったが、あのときもアレコレ
大変だったのは覚えている。
確かに一時的に流通が止まって、コンビニの棚からパンやめぼしい食品が消えて...
でも、(東京では)日に日に少しずつ落ち着いていくのが感じられたのだった。
いや、もちろん毎日、不安も大きかったし、「計画停電」など大変だったのだが。
それでも東京で暮らしている身としては、“徐々に良くなっていく”と思いながら
頑張ることができた。
でも、今回は違う。先が見えない不安の中で...
もちろん、自分が感染することに対する怖さもあるが、それと同じか、それ以上に
「先が見えない」ことへの不安が大きいのである。
【2019年4月6日13時19分】 いすみ鉄道・小谷松-東総元
ちょうど1年前の<サクラ鐵>の1枚を...
不安だからといって無意味に騒いでも仕方ない。
毎日の食事の中で、いままでつくったことのないメニューに挑戦してみたり、
趣味活動だって...
「早く、撮りに行きたい」と思いながらも...
10冊ほどのネガアルバムを取り出してきて、スキャン済みのものと、まだのもの。
HDDのデータと照合して...、この名鉄岐阜600V線の撮影記を書くことができるのも
“外出自粛”のおかげかも知れない。
自宅でできる小さな楽しみを1つ1つ見つけ出しながら、ただとにかく時間を過ごす
<変態鉄>の日常である。月曜日は朝から晩まで仕事。お客様からの予約申込は
ある程度の数、入っていると報告は受けているが、いやはや...どうなるか。
そうであるからこそ、ブログの方はいつも通りに...
…… ……
最近は「ブログに撮影記を書くつもり」で、毎回の“出撃”をしているので、
撮影時以外も移動中のことなども記録用に写真を撮っているし、記憶も...
でも、この当時、そんなこと全く考えていなかった。
だから、ネガのコマを見ながら、このコマとこのコマの間には何があったか!?
を必死に考えながら書いているのである。
断片的な記憶は、ところどころ鮮明に覚えている。
それをつなぎ合わせようと、アレコレ、考えていると時間だけ経って。
いまさらながら、メモの重要性を思い知るのである。
さて。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
新関駅ではしばらく折返しの停車時間があった。
チャンスを窺っていれば、いろいろなアングルでの記録写真を撮ることもできて。
駅舎とホームの間は下り方にある構内踏切を通るのが一般的だったが、ホームの
すぐ上り方にも踏切があって。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
隣のホームには最新型の部分低床車、モ800形が停車中である。
最新型と大正生まれのツーショット。
余談ながら、モ800形の方向幕の「岐阜」の文字が妙に右にズレている。
これは廃線を目前にした、この2005年1月末に、それまで“新岐阜”駅と
JRと区別するのに「新」を冠していたのが「名鉄岐阜」に改称されたから。
(同時期に“新”名古屋も「名鉄名古屋」に改称された)
美濃町線(田神線)の電車は1ヶ月だけ「名鉄岐阜」駅発着だったのである。
ただ、方向幕を印刷し直すのはムダだと思われたのか、美濃町線電車の行き先
表示は「新」の文字を目隠ししたのが分かる形にされていて。そういうところにも
廃止を控えた、寂しさが...
さらに...
その方向幕。よ~~く見ると「岐阜」の文字の下に何か書いてある。
コレ、「徹明町接続」表示。徹明町発着の電車は日中は野一色電停で折返し。
関方面から市街地中心部の徹明町に向かう人は野一色電停で並んで停車する電車に
乗り換えるシステムである。だからこそ、日中でも野一色-競輪場前間で続行運転が
必ず発生していたのである。
そして...。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅
その岐阜ゆきのモ805号車が発車したら、もちろん、このカット。
(でも、画角から考えると、もしかしたら車内から窓越しに撮影???)
すでに、今度、上り電車の先頭になるモ514号車には運転台窓下に続行票が。
…… ……
モ510形の貸切電車に先行する岐阜ゆきで向かったのは上芥見電停。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
岐阜市街地と関を結ぶルートは、いつもクルマの量が多い。でも、国道から
1本外れた旧道を電車は走っていた。だから、いまから15年前と言っても
信じてもらえないような...
狭い道路の片隅に単線の軌道が通る道路併用軌道区間がわずかではあっても
残っていたのだった。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
<変態鉄>としては、当時、いつも上芥見電停の向かい側で撮るようにしていた。
背後に石垣のある簡素なホームを通過して行く電車。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
もちろん、カメラは必死に連写...といっても、廉価版の4桁機種のEOSくん。
モータードライブなど付いているはずもなく。カシャカシャと1枚ずつシャッター
ボタンを押しながら。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
上芥見電停のホームを通過すると電車は左へ少し曲がって...
再び専用軌道区間へと入っていくのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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