紅い丸窓電車、最後の日々(2005年2月 名鉄岐阜線撮影記)(4) [思い出の名鉄岐阜線]
今日の話題に入る前に。
とうとう「緊急事態宣言」が行われることが報じられ。
“趣味に仕事の話はもちこまない”がモットーの拙ブログだが...
昨日から報じられている、その宣言に伴い東京都が“営業自粛要請”するとした
業種の一覧、そのなかに自分の仕事が思いっきり入っているのである。
(もちろん、“想定の範囲内”だったのだが...)
今日も、その期間中の仕事の進め方についての打合せに出社するのだが...
怖いのは、実は宣言が解除され、通常の活動が再開された後だと思っている。
いったん休止になってしまうと、解除後にお客様が100%の水準まで戻ってくるか...
「なぁんだ、実は高いカネを払って、行かなくてもどうにかなるし...」
みたいな風潮になってしまうと...
自分が学生時代アルバイトで“初参入”して以来、二十数年働いてきた、この業界
それ自体が、一気に転換期(衰退期?)にさしかかるような気がしてならない。
杞憂に終われば良いのだが...
そんな憂鬱な日。お昼から歯医者の予約があって。
(帰ってきて、続きを書いている訳で...)
さて、引き続き、廃線直前、団体貸切の運用で美濃町線に入った古豪モ510形の
撮影記。断片的な記憶をつなぎ合わせながら...。
…… ……
普段は揖斐線の予備車だったモ510形。大正末期の新製時には美濃町線の電車
として登場している。
だから“里帰り運行”であるわけで。起点は柳ヶ瀬だったり、徹明町だったり
線路は何度か付け替えられながら、岐阜市街地の中心に乗り入れていたのは
変わらず。当初から岐阜市街地では路面上を走り、市街地を出ると(現在の)
国道157号線の北側を...、線路敷と道路の境界が不明瞭な形の専用軌道。
路面電車としての乗降ステップを備えた高床構造の電車...揖斐線直通の任に
最適だったのである。生まれ故郷の美濃町線で40年、揖斐線直通で40年走って。
その最後の方を見て、撮ってきたのが若かりし日の<変態鉄>だった。
だからこそ、この日は、美濃町線区間で撮りたかった。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
この日のモ510形、単線区間なので「続行あり」の標識を掲出して、定期営業電車を
後ろに従える形で運転されていた。だから、上芥見電停付近で撮った後は、すぐに
後続電車に飛び乗ったわけで...
でも、ここからの記憶が曖昧。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・撮影地不詳
ネガには後続電車からいったん車外に出て、先行のモ510形団体列車を後追いで
撮ったコマは2駅分ほど残されており。
ひとつは、たぶん往路に撮った白金駅だと思うが...、もう1つは...
いまだから白状してしまうが、先行のモ510形が発車したら続行して、すぐに
後続の営業電車も発車になる。車外出てカメラを構えていた<変態鉄>...
ドアを閉められて。つまり、取り残されそうになって慌てて...
ドアを再開閉して乗せてもらえて事なきを得たが、車掌さん(増乗務だった??)に
叱られたのをよく覚えている。
それにしても...
ここからが謎。
岐阜市内線と美濃町線はハッキリと運転系統が分けられていた。
ただし、市内線所属の電車は、田神線の市ノ坪駅に隣接した車庫・工場に入場する
ので、その回送線として徹明町交差点を東西に横切る線路もあって。
(図の、緑と青の間の黒線部分)
ここを日中に通過する電車は皆無。ぬぁんと、そこを白昼堂々、モ510形が通過する
とあっては...
(前夜の送込み回送では夜間にここを通過しているはず)
それならば、やはり、徹明町を直進する場面を撮らない訳には...
だが、しかし...
駄菓子菓子。
叱られたのを覚えているわけで。モ510形の貸切電車の続行となる定期営業電車に
乗っていたはずの<変態鉄>。どうやって、徹明町に行ったのか...??
「団体列車だから、途中駅でバカ停(← 長時間停車のこと)したんでしょ!?」
とはならない。そう、路面電車である。道路上の電停で長時間停車するのは
クルマの邪魔なので名鉄もそんなダイヤを設定を認めるはずもなく。
それなら、途中駅で側線に入って...、いやいや...。
交換駅では徹明町系統と新岐阜系統が“縦列停車”しないといけないくらいで。
クルマで追跡しながら撮った方もいたのだろうが、岐阜市内は道路状況が良くなく。
(それが電車が廃止になる理由にもなった)
ネガを見てみても手がかりになるようなものは無く...
でも、徹明町にやって来たのである。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・徹明町電停
いよいよ、そのときが。
交差点の東側にある単線部分のホーム(道路上に緑色のカラー舗装だけ)は、
普段、美濃町線の野一色ゆきだけが発着していたホーム。
ここにモ510形が停車しているのも、非常にレアなシーン。
そして...
名鉄職員がやって来て、電停付近でスイッチを操作してポイントを切り替えて...
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
この“決定的瞬間”を撮ることができたのである。
クルマに被られた...なんていられない。このシーン、まさか撮れるとは...
まさに“アタマの中が真っ白になりそうな”、そんな感じ、もう無我夢中で
シャッターを切り続けたのだった。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
もちろん、自分以外の<鉄>だって、皆、考えることは同じである訳で。
そうした市内中心部の交差点。モ510形がやって来た時点で、もう大混乱である。
歌謡曲にも歌われた岐阜の歓楽街が柳ヶ瀬。この徹明町交差点は柳ヶ瀬の繁華街の
南側に位置する。北側はアーケードのある昔ながらの繁華街だったと記憶している。
直進した電車は、いったん上り線に逆行進入する形になって。
いったん、上り(新岐阜駅前方面)のホームに停車。十字路なので、どちらかの
道路信号は青。多くのクルマが走る中、果敢に道路中央に飛び出す<鉄>が後を
立たず、整理に出てきた名鉄職員の手笛、鳴り響くクルマのクラクション、
K察も出動して、周囲は騒然とした感じだったと思う。もう、メチャクチャ。
そんな中、モ510形が上りホームでいったん停車したのは...
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
下りの定期営業電車に道を譲るためだった。
モ780形の黒野ゆき。いまでは装いを変えて豊橋の街を走っているはず。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
市内線下りの団体列車を、定期電車が追い越していく...
これまた貴重なシーンが撮れて。
モ510形は、すぐに、この黒野ゆきに続行して忠節へと向かうことになっていた。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
黒野ゆきが出た後を追って、下り線に転線である。
徹明町の渡り線が使われるのも、こういう場面だけ。これまたレアなシーン。
これを撮って大満足で...とは、ならなかった。どうしても、絶対に...
この写真の左側、市内線下りホームの後ろ側、メルサの、はす向かいに当たる位置に
タクシーの営業所があるのを、もちろん知っていた。
カメラを持って猛然と駆け出した<変態鉄>、タクシー乗り場に駆けつけて。
そう、どうしても最後は、“あの場所”で撮りたかった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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“趣味に仕事の話はもちこまない”がモットーの拙ブログだが...
昨日から報じられている、その宣言に伴い東京都が“営業自粛要請”するとした
業種の一覧、そのなかに自分の仕事が思いっきり入っているのである。
(もちろん、“想定の範囲内”だったのだが...)
今日も、その期間中の仕事の進め方についての打合せに出社するのだが...
怖いのは、実は宣言が解除され、通常の活動が再開された後だと思っている。
いったん休止になってしまうと、解除後にお客様が100%の水準まで戻ってくるか...
「なぁんだ、実は高いカネを払って、行かなくてもどうにかなるし...」
みたいな風潮になってしまうと...
自分が学生時代アルバイトで“初参入”して以来、二十数年働いてきた、この業界
それ自体が、一気に転換期(衰退期?)にさしかかるような気がしてならない。
杞憂に終われば良いのだが...
そんな憂鬱な日。お昼から歯医者の予約があって。
(帰ってきて、続きを書いている訳で...)
さて、引き続き、廃線直前、団体貸切の運用で美濃町線に入った古豪モ510形の
撮影記。断片的な記憶をつなぎ合わせながら...。
…… ……
普段は揖斐線の予備車だったモ510形。大正末期の新製時には美濃町線の電車
として登場している。
だから“里帰り運行”であるわけで。起点は柳ヶ瀬だったり、徹明町だったり
線路は何度か付け替えられながら、岐阜市街地の中心に乗り入れていたのは
変わらず。当初から岐阜市街地では路面上を走り、市街地を出ると(現在の)
国道157号線の北側を...、線路敷と道路の境界が不明瞭な形の専用軌道。
路面電車としての乗降ステップを備えた高床構造の電車...揖斐線直通の任に
最適だったのである。生まれ故郷の美濃町線で40年、揖斐線直通で40年走って。
その最後の方を見て、撮ってきたのが若かりし日の<変態鉄>だった。
だからこそ、この日は、美濃町線区間で撮りたかった。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・上芥見電停付近
この日のモ510形、単線区間なので「続行あり」の標識を掲出して、定期営業電車を
後ろに従える形で運転されていた。だから、上芥見電停付近で撮った後は、すぐに
後続電車に飛び乗ったわけで...
でも、ここからの記憶が曖昧。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・撮影地不詳
ネガには後続電車からいったん車外に出て、先行のモ510形団体列車を後追いで
撮ったコマは2駅分ほど残されており。
ひとつは、たぶん往路に撮った白金駅だと思うが...、もう1つは...
いまだから白状してしまうが、先行のモ510形が発車したら続行して、すぐに
後続の営業電車も発車になる。車外出てカメラを構えていた<変態鉄>...
ドアを閉められて。つまり、取り残されそうになって慌てて...
ドアを再開閉して乗せてもらえて事なきを得たが、車掌さん(増乗務だった??)に
叱られたのをよく覚えている。
それにしても...
ここからが謎。
岐阜市内線と美濃町線はハッキリと運転系統が分けられていた。
ただし、市内線所属の電車は、田神線の市ノ坪駅に隣接した車庫・工場に入場する
ので、その回送線として徹明町交差点を東西に横切る線路もあって。
(図の、緑と青の間の黒線部分)
ここを日中に通過する電車は皆無。ぬぁんと、そこを白昼堂々、モ510形が通過する
とあっては...
(前夜の送込み回送では夜間にここを通過しているはず)
それならば、やはり、徹明町を直進する場面を撮らない訳には...
だが、しかし...
駄菓子菓子。
叱られたのを覚えているわけで。モ510形の貸切電車の続行となる定期営業電車に
乗っていたはずの<変態鉄>。どうやって、徹明町に行ったのか...??
「団体列車だから、途中駅でバカ停(← 長時間停車のこと)したんでしょ!?」
とはならない。そう、路面電車である。道路上の電停で長時間停車するのは
クルマの邪魔なので名鉄もそんなダイヤを設定を認めるはずもなく。
それなら、途中駅で側線に入って...、いやいや...。
交換駅では徹明町系統と新岐阜系統が“縦列停車”しないといけないくらいで。
クルマで追跡しながら撮った方もいたのだろうが、岐阜市内は道路状況が良くなく。
(それが電車が廃止になる理由にもなった)
ネガを見てみても手がかりになるようなものは無く...
でも、徹明町にやって来たのである。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・徹明町電停
いよいよ、そのときが。
交差点の東側にある単線部分のホーム(道路上に緑色のカラー舗装だけ)は、
普段、美濃町線の野一色ゆきだけが発着していたホーム。
ここにモ510形が停車しているのも、非常にレアなシーン。
そして...
名鉄職員がやって来て、電停付近でスイッチを操作してポイントを切り替えて...
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
この“決定的瞬間”を撮ることができたのである。
クルマに被られた...なんていられない。このシーン、まさか撮れるとは...
まさに“アタマの中が真っ白になりそうな”、そんな感じ、もう無我夢中で
シャッターを切り続けたのだった。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
もちろん、自分以外の<鉄>だって、皆、考えることは同じである訳で。
そうした市内中心部の交差点。モ510形がやって来た時点で、もう大混乱である。
歌謡曲にも歌われた岐阜の歓楽街が柳ヶ瀬。この徹明町交差点は柳ヶ瀬の繁華街の
南側に位置する。北側はアーケードのある昔ながらの繁華街だったと記憶している。
直進した電車は、いったん上り線に逆行進入する形になって。
いったん、上り(新岐阜駅前方面)のホームに停車。十字路なので、どちらかの
道路信号は青。多くのクルマが走る中、果敢に道路中央に飛び出す<鉄>が後を
立たず、整理に出てきた名鉄職員の手笛、鳴り響くクルマのクラクション、
K察も出動して、周囲は騒然とした感じだったと思う。もう、メチャクチャ。
そんな中、モ510形が上りホームでいったん停車したのは...
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
下りの定期営業電車に道を譲るためだった。
モ780形の黒野ゆき。いまでは装いを変えて豊橋の街を走っているはず。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
市内線下りの団体列車を、定期電車が追い越していく...
これまた貴重なシーンが撮れて。
モ510形は、すぐに、この黒野ゆきに続行して忠節へと向かうことになっていた。
【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近(後追い)
黒野ゆきが出た後を追って、下り線に転線である。
徹明町の渡り線が使われるのも、こういう場面だけ。これまたレアなシーン。
これを撮って大満足で...とは、ならなかった。どうしても、絶対に...
この写真の左側、市内線下りホームの後ろ側、メルサの、はす向かいに当たる位置に
タクシーの営業所があるのを、もちろん知っていた。
カメラを持って猛然と駆け出した<変態鉄>、タクシー乗り場に駆けつけて。
そう、どうしても最後は、“あの場所”で撮りたかった。(つづく)
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