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いすみ鉄道「キハ28 2346 撮影会」_2023.8.24(4) [いすみ鉄道]

<変態鉄>も45歳、小湊にいるキハ40形と同世代である。会社に行っても、20代の頃、大声でバカ話をしていた同僚と、老眼の進行について討論するような歳になって。

よく「年寄は朝が早い」と言われるが、それもちょっと分かってきた。アレ、“朝早く起きられる何か”があるのではなく、トイレに行きたくなるのが原因ではないか...と。夜寝るのが遅くても、なぜか4時、5時頃にトイレに行きたくなって目が覚めることが多くなった。
早朝の中途半端な時間に起きて...、トイレまでは数メートルの距離だが、一度、布団を出て歩くと、戻っても何となく眠れなくなって。
だから、「年寄は朝が早い」というのは、「体内時計が...」とか何とか、TVなどでエラソーに言っている医者の言う事よりも、単に膀胱が弱くなっただけではないか...と思う今日このごろである。

さて、いすみ鉄道、小湊鐵道の「房総横断鉄道」は、今回、大きな被害を受け。
いすみ鉄道にいたっては大多喜町内の区間で複数箇所で土砂流出が確認されており。まずは、まもなく大多喜〜大原間で再開できそうという話もあるので。
1日も早い全線復旧で、10〜12月の養老渓谷の行楽シーズンに間に合ってほしいと思う次第。

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【2023年8月24日10時21分】 いすみ鉄道線・国吉駅

さて、そんな、いすみ鉄道・国吉駅での撮影会の話題。8月下旬のよく晴れた朝だった。まさか1ヶ月もしないうちにこんなことになろうとは...

撮影記は、ちょっと間隔が空いてしまっており。

国吉駅に保存されたキハ28 2346号車に、歴代、千葉地区のディーゼル動車時代の優等列車のマークを掲出しての撮影会だった。
まずは、昭和30年代、キハ17系とその後継として入ってきたキハ20系、あるいは準急形のキハ55系などに掲出されたと思われる大型の準急用ヘッドマークからのスタートだった。

……  ……

2023年8月24日(木)晴れ

戦争でいったん途絶えた内燃動力車の開発。

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【2017年11月8日12時43分】 埼玉県さいたま市大宮区大成町・鉄道博物館

戦後、液体変速機...トルクコンバーターの実用化のメドが立ち。戦前のガソリンエンジンを改造したDMH17系エンジンとの組み合わせで...
これにより、長編成の連結運転(総括制御)が可能となり、また、同時期に客車軽量化の研究も進んでおり。そうした中で、エンジン出力という、他の車種にないハンディを抱えつつも、ディーゼル動車も蒸気機関車が牽く客車と変わらぬレベルの接客設備を備えられるレベルまで、昭和20年代末から30年代にかけて急速に“進化”していったのだった。

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【2017年11月8日12時42分】 埼玉県さいたま市大宮区大成町・鉄道博物館

昭和20年代末に、千葉が気動車のモデル線区に指定された上に、電化が比較的遅かったことから、現在の内房線・外房線はディーゼル動車を使った優等列車の歴史が長くて。

ちょうど、高度成長期にあたり社会・経済の構造が大きく変革していく時期、それだけに国鉄の輸送量も右肩上がりで。
頻繁にダイヤの見直しが行われていたようで。その度に、房総にも新しい列車が登場していた。そんな時期だけに愛称板も次々に出てくる。

さて、房総のディーゼル列車の歴史。総武線(両国〜千葉)の線路容量の関係で、千葉まで、銚子方面、外房、内房方面の3列車併結で走るスタイル。
いきなり、ディーゼル動車の“強み”を発揮した運転方法でスタートした。

1958年(昭和33年)11月、最初に設定された準急「房総」号、無煙化とスピードアップ、ビジネス需要などで好評となり。早くも2往復が増発されることになって。

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【2023年8月24日10時16分】 いすみ鉄道線・国吉駅

その増発列車は、ある意味、ストレートなネーミングだが、東「京」と千「葉」で、準急「京葉」号として。こちらは朝に新宿駅を出て房総半島の各地にお昼に到着できる、行楽利用にも適したダイヤになり。

房総半島を時計回り、反時計回りに1周する編成と銚子ゆき編成を併結した“3階建て列車”。いや、単線区間が大半だったこの時代、千葉駅での分割併合を定刻通りに行うのは、まさに“神業”だったのではなかろうか。何しろ、2編成は折返しではなく、房総半島を1周してくるわけだから、途中で遅れが出たら回復する機会が少なく。

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【2023年8月24日10時21分】 いすみ鉄道線・国吉駅

房総東線まわりも需要は旺盛だったようで、1961年(昭和36年)改正で臨時準急列車が設定され。
「清澄」と命名された。撮影会でも、あまり馴染みのない名前ということで質問が出ていたが、この「清澄」というのは鴨川市にある山の名前(妙見山:標高377 m を中心とした山々を指すこともある)に由来する...というか、その山頂付近にある清澄寺が日蓮聖人が12歳で入山して開宗したとされ。

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【2023年8月24日10時22分】 いすみ鉄道線・国吉駅

同じ鴨川市の小湊には「誕生寺」という日蓮聖人生誕の地とされるお寺があって。
日蓮宗の大切な地であるだけでなく、房総一帯では参拝することが重要視されていたようで...、昭和の頃は、房総一帯の学校で、これらのお寺まで歩いていく遠足などもあったとか無かったとか。

だから、「清澄」と命名されるのは外房線(房総東線)の列車として自然な流れだったようで。

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【2023年8月24日10時25分】 いすみ鉄道線・国吉駅

この頃になると、大型ヘッドマークから羽根付き台座を取り付けた上に愛称を書いたボードを差す形式のものに変化したようで。合理化というよりも、愛称が増えて交換の手間がかかる...ということだろうか。
あるいは、他線区の電車急行などでも同じ仕様のヘッドマーク(台座)は使われており、“標準化”という意味があったのかも。

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【2023年8月24日10時26分】 いすみ鉄道線・国吉駅

それにしても、「房総」の列車名は翌62年改正でいったん姿を消すことになるので、これらのヘッドマーク、数年、短いものでは数カ月間しか使われていないことになるわけで。

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【2023年8月24日10時26分】 いすみ鉄道線・国吉駅

いすみ鉄道でも特別なイベントの時以外は、普段、観光急行列車にはこのタイプの羽根付き台座のヘッドマークが掲出されることが多く、自分としては一番、撮った記憶が...。

房総地区にキハ28形(当初は非冷房なので、キハ58とペアというわけは無く、平坦線の房総は1基エンジン車が多かったと思われる)の投入が開始されたのが1962年(昭和37年)、ちょうど時期的に、このマークの「準急 房総」を掲出して、まだ新車だった頃のキハ28形が先頭に立つシーンもあったかも知れない。ただ、あったとしても秋のダイヤ改正までのごく短期間。

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【2023年8月24日10時30分】 いすみ鉄道線・国吉駅

この時期、準急「京葉」も1号、2号と増発されており。カッコ書きの内房、外房の方面は書かなくなるなどの変化もあったようで。

でも、この房総の優等列車“1期生”とも言えそうな愛称、この年10月の改正で姿を消す。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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