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紅い丸窓電車、最後の日々(2005年2月 名鉄岐阜線撮影記)(82)おまけ [思い出の名鉄岐阜線]

なかなか思うように進まず。
<鉄>活動自体は余程のイベント列車の撮影でも無い限り“3密”には
ならないのだろうが、まぁ...とはいえ、“出撃自粛”が続いている。

<変態鉄>が注目していた、ことでん23号車お別れイベントをはじめ、
JRなど大手も、中小も、問わず、各事業者から一部運休やイベント中止の発表が
続いているのは自然な流れ。

普段、“出撃できない”というのは「日程が仕事と重なっている」「天気が悪い」
「体調が良くない」が主な理由だが、いまは違う。
陽気も良いし、撮りたいものもたくさんあるし...

悶々とした...というのは、こういう気持ちだろうか。

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【1991年12月30日】 名鉄揖斐線・旦ノ島-尻毛

ということで、昨日に引き続き、15年前の名鉄岐阜600V線廃止のときの
記念乗車券類をご紹介したい。

これから出勤なので、ちょっと短めの記事で(笑)。


……  ……

この頃の名鉄、何と言っても話題の中心はコチラだった。

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【2006年8月4日】 名鉄名古屋本線・妙興寺-島氏永

そう、「新岐阜」「新名古屋」の「新~」の駅名が「名鉄岐阜」「名鉄名古屋」に
改称されたのも、多かれ少なかれ、コレに関係していたとか。
岐阜600V線廃止の1ヶ月ほど前に中部国際空港(セントレア)がオープンしており
名鉄も常滑から延伸、岐阜・豊橋などからの直通特急が走るようになっていた。

早朝の「のぞみ」で名古屋に駆けつけた<変態鉄>も、すぐに名鉄名古屋駅へ。
特急“ミュースカイ”の指定券を買って、岐阜へと少しでも早く...
2~3回、この特急に乗ったのを覚えている。

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だから、昨日からご紹介している記念乗車券類、いっしょにコチラも売られており。
パンフも2枚並んで置いてある状況だったのである。
(もちろん(?)、コチラには手を伸ばさなかったが...)

確か...だが、岐阜線廃止に伴い捻出された職員の一部は空港線関係に異動したとか
そんな話を聞いたように覚えている。

消えゆくものあれば、一方で新しいものが...

アタマでは分かっていても寂しいもの。

そんな思い出の揖斐線だが...

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こちらは法令上、路面電車(軌道)ではなく鉄道線だから...だろうか。
各駅の硬券入場券セットもあって。

いわゆるB型硬券。ぴったりそれが収まる紙の箱に入ったセットだった。
冒頭の写真にも載せた90年台初頭には、ワンマン運転は定着していたが、
忠節駅などでは記念用ではなく、乗車券も含めて硬券が当たり前だった。

確か、その当時に家族で谷汲に行ったときの乗車券も実家のどこかに...

さて、その記念硬券入場券セット。その中に小さく折りたたんだ紙片が。
両面印刷で揖斐線(本揖斐-黒野は廃止済み)の路線図と、この線の歴史が
簡単にまとめられており。

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美濃町線と違って、こちらは岐北軽便鉄道がその起源。

ほどなく美濃電に合併され、その手で揖斐線が全通することになる。
もちろん、<変態鉄>が知っているのは市内線直通で新岐阜まで乗り入れるように
なった後の時代だが、意外と、その期間は短く、長良川に「忠節橋」を架橋して
そこを市内線電車が通れるようになったのは、戦後のことだったはず。
(初期の忠節駅は長良川の北岸にあり、忠節橋を徒歩連絡で市内線に接続)

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【1991年10月22日】 名鉄揖斐線(当時)・旦ノ島-尻毛(後追い)

口さがない昭和の<鉄>からは「電車墓場」と呼ばれたという揖斐線。
平成に入ってからも、名鉄の前身である美濃電やら瀬戸電やら名岐やら
車体寸法も出自もバラバラな旧型電車たちが凸凹編成をつくって走っていた。

そんな時代に「<撮り鉄>初体験」を済ませた(?)、<変態鉄>。
でも、あの頃は700番台の番号をもつ丸っこい電車の後ろに2000番台の番号の
車高の低い角張った電車(制御車)が付いているのが、美的に...
許しがたかった。いま、振り返れば、それにカメラを向けようとしなかった自分が
本当に恨めしいのである。

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【2013年8月14日13時14分】 旧名鉄谷汲線・谷汲駅

なぜか廃線が近づいてから急速に近代化を進めた岐阜600V線。
その分、「車齢が若い、鉄道線と路面電車兼用の連接車」というニッチな出物が
発生したので、福井鉄道などに大量に譲渡され、生きながらえたのかも知れないが。

旧型車末期には、その700番台の車輌だけが残ることになり。
ひとあし早く廃止されていた谷汲駅構内にモ755号車が残されている。

「なぜ、あの時代にちゃんと撮ろうと思わなかったのか??」

あの当時のネガを見直す度に、その気持ちを深めるのである。

そうそう、話が逸れていた。
硬券入場券セットの他に、他線と同様の写真入りのお別れ記念乗車券も。

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でも、自分にとって一番懐かしい時代が券面の写真には使われておらず。
発駅名も、黒野、美濃北方、真桑と、難読駅名が多かった同線では
比較的、おとなしいラインナップ。

尤も、岐北軽便の写真など貴重なカットも使われており、資料性も高いのは
間違いないのだが。

コロナが落ち着いたら、廃線から15年が経った岐阜の街を訪れてみたい...と、
そう思っている<変態鉄>だった。

その前に。

別の用事で実家の近くに行くので、そのときに2階の自室の捜索作業を行う予定。
というわけで、古いネガからのシリーズ、もうちょっと続きそう。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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