11年前の富山は!? [その他の<鐵>話]
事情によりブログを更新できる時刻がバラバラになっております。
「ことでん」の話題は、明日、アップする予定。
開業初日に行こうと思っていた“路面電車南北接続”の開業日、あと5日に迫り。
【2009年3月18日13時41分】 富山ライトレール・インテック前-富山駅北
すでに「富山ライトレール線」は「富山地鉄富山港線」に生まれ変わっており。
尤も、現業では以前から富山地鉄との結びつきが強かったのだが...。
それにしても、“富岩線”が正式に富山地鉄になるのだから。
一度、撮りに行きたいと思っているのだが、コロナと、あと、家の中のことで。
自分の身の回りが落ち着いたら、そのときは、すでに南北直通になっているはず
だが、ぜひ、富山港線内を走る地鉄電車を撮りたいと思っている次第。
HDDを漁ってみたら、11年前、2009年3月の富山の写真が出てきたので...
旧ブログのときと重複はあるものの、ちょっとご紹介。
…… ……
この頃の<変態鉄>、まだ、ブログを始める前だったので、“出撃”しても
その往復の模様などは一切撮っていないのだが、それでも富山駅前いはいろいろな
被写体に溢れていて。
惜しむらくは、当時、地鉄電車には全く関心が無かったこと。
兎にも角にも富山に行けば「飛越ゴハチ」。
富山市が実施主体になって行われた高山本線の活性化社会実験。
増発運転に必要となる車両を、キハ58系急行型ディーゼル動車で賄ったため、
<変態鉄>は休みとなれば、富山に駆けつけていた。
【2009年3月19日9時06分】 高山本線・西富山-婦中鵜坂
最も頻繁に通った撮影地は、その社会実験で増設された「婦中鵜坂」駅至近の
井田川鉄橋だっただろうか。
“高岡色”と呼ばれた臙脂色に白帯の編成にはキハ58 1114号車。
後期型の“パノラミックウィンドウ車”が連結されているのが特徴で。
<撮り鉄>からの評判はイマイチだったが、<変態鉄>としては...
この1114号車とペアを組んでいたのが、キハ28 2346号車。
【2009年3月19日6時22分】 高山本線・富山駅
一番目立たない存在だったキハ28 2346号車は...
そう、2011年の引退後、いすみ鉄道に活躍の場を移して。
高山本線時代は一番地味な存在だった1両が、いまも“現役最後の1両”として
走り続けているのは不思議なもので。
(いまは相方のキハ52形の重要部検査のため運休中)
【2009年3月19日8時10分】 高山本線・西富山-婦中鵜坂
「ワイドビューひだ」号は、このとき、“当たり前の存在”だった。
分割民営化直後、90年代初頭の、まだまだ新生JRが意欲的な新車を競い合って
投入していた時代の車両。これも、まもなく置換えの時期を迎える。
そんなことに時の流れを感じてしまう<変態鉄>である。
その当時...
【2009年3月19日10時30分】 高山本線・富山駅
もちろん富山駅は地平にあった。
すでに北陸本線のホームの半分は仮設ホームに移されており、それでも、まだ
高山本線の“西ホーム”と1番のりばは旧来の富山駅のままだった。
この写真の奥の方に富山地鉄の電鉄富山駅に繋がる渡り線が残っていた。
つい先日、撤去されたコカコーラの電飾看板も旧デザインで半分だけ見えている。
改札の先に特急列車が停まっていて...
本当の「国鉄駅」が残っていたのもこの駅。
【2009年3月4日8時37分】 高山本線・富山駅
そんな1番のりばに到着するのは、越中八尾駅から富山駅に戻って来た
キハ28・58編成。
その隣には速星駅に隣接する化成品工場向けの貨物列車。
DE10ディーゼル機関車が牽く貨物列車も「当たり前の存在」だったのである。
確か、すでにここも新型機関車に置き換えられた...ような。(曖昧な記憶)
同じDE10型が牽いている貨物列車、水島臨海鉄道直通の西岡山-東水島間の
列車も貴重な被写体なのである。(既に機関車の置換えの予定が...)
この写真、よ~~~く目を凝らせば、奥には“食パン電車”419系の北陸ローカルが
写っているし、それより何より。
国鉄時代からの跨線橋と、テルハがあった頃のものと思しきエレベータの姿が
ちょっとだけ写り込んでいる。
【2009年3月4日15時45分】 富山県富山市牛島町・富山駅北口付近
この頃から<変態鉄>の“定宿”は駅北にあるホテルだった。
かつての「駅裏」は国鉄の操車場と貯木場がある、正直言って寂れたエリアだった
のだが、多くの企業の本社ビルがあって、見違えるほどになっていたのである。
その駅北口バス停で見かけて、あわててカメラを向けたのは地鉄バスの393号車。
だいぶ数は少なくなっていたが、まだまだ探せば「青バス」が見つかった富山駅前。
このバス乗り場の後ろにあったのが...
【2009年3月4日15時43分】 富山ライトレール・富山駅北電停
「富山ライトレール線」の「富山駅北」電停だった。
ここにあった車止めは既に撤去され、ここには線路が敷かれている。
新幹線開業に伴い北陸本線...改め「あいの風とやま線」も高架化され、そのあとに
路面電車の線路が延伸されたわけで。
この「駅北」もすでに過去のシーンなのである。
【2009年3月18日21時19分】 富山ライトレール・富山駅北-インテック前
LRT化だけでも画期的な“事件”だったのに、それが、今度は地鉄になって。
ここの場所で南富山にいた電車たちも撮ることができるようになる。
尤も、この古豪たちは入線できないのだが...
【2009年3月5日15時58分】 富山地鉄市内軌道線・地鉄ビル前-富山駅前(当時)
20形電車がなくなって寂しくなった富山地鉄。
でも、<変態鉄>はまたまた富山に撮りに行きたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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「ことでん」の話題は、明日、アップする予定。
開業初日に行こうと思っていた“路面電車南北接続”の開業日、あと5日に迫り。
【2009年3月18日13時41分】 富山ライトレール・インテック前-富山駅北
すでに「富山ライトレール線」は「富山地鉄富山港線」に生まれ変わっており。
尤も、現業では以前から富山地鉄との結びつきが強かったのだが...。
それにしても、“富岩線”が正式に富山地鉄になるのだから。
一度、撮りに行きたいと思っているのだが、コロナと、あと、家の中のことで。
自分の身の回りが落ち着いたら、そのときは、すでに南北直通になっているはず
だが、ぜひ、富山港線内を走る地鉄電車を撮りたいと思っている次第。
HDDを漁ってみたら、11年前、2009年3月の富山の写真が出てきたので...
旧ブログのときと重複はあるものの、ちょっとご紹介。
…… ……
この頃の<変態鉄>、まだ、ブログを始める前だったので、“出撃”しても
その往復の模様などは一切撮っていないのだが、それでも富山駅前いはいろいろな
被写体に溢れていて。
惜しむらくは、当時、地鉄電車には全く関心が無かったこと。
兎にも角にも富山に行けば「飛越ゴハチ」。
富山市が実施主体になって行われた高山本線の活性化社会実験。
増発運転に必要となる車両を、キハ58系急行型ディーゼル動車で賄ったため、
<変態鉄>は休みとなれば、富山に駆けつけていた。
【2009年3月19日9時06分】 高山本線・西富山-婦中鵜坂
最も頻繁に通った撮影地は、その社会実験で増設された「婦中鵜坂」駅至近の
井田川鉄橋だっただろうか。
“高岡色”と呼ばれた臙脂色に白帯の編成にはキハ58 1114号車。
後期型の“パノラミックウィンドウ車”が連結されているのが特徴で。
<撮り鉄>からの評判はイマイチだったが、<変態鉄>としては...
この1114号車とペアを組んでいたのが、キハ28 2346号車。
【2009年3月19日6時22分】 高山本線・富山駅
一番目立たない存在だったキハ28 2346号車は...
そう、2011年の引退後、いすみ鉄道に活躍の場を移して。
高山本線時代は一番地味な存在だった1両が、いまも“現役最後の1両”として
走り続けているのは不思議なもので。
(いまは相方のキハ52形の重要部検査のため運休中)
【2009年3月19日8時10分】 高山本線・西富山-婦中鵜坂
「ワイドビューひだ」号は、このとき、“当たり前の存在”だった。
分割民営化直後、90年代初頭の、まだまだ新生JRが意欲的な新車を競い合って
投入していた時代の車両。これも、まもなく置換えの時期を迎える。
そんなことに時の流れを感じてしまう<変態鉄>である。
その当時...
【2009年3月19日10時30分】 高山本線・富山駅
もちろん富山駅は地平にあった。
すでに北陸本線のホームの半分は仮設ホームに移されており、それでも、まだ
高山本線の“西ホーム”と1番のりばは旧来の富山駅のままだった。
この写真の奥の方に富山地鉄の電鉄富山駅に繋がる渡り線が残っていた。
つい先日、撤去されたコカコーラの電飾看板も旧デザインで半分だけ見えている。
改札の先に特急列車が停まっていて...
本当の「国鉄駅」が残っていたのもこの駅。
【2009年3月4日8時37分】 高山本線・富山駅
そんな1番のりばに到着するのは、越中八尾駅から富山駅に戻って来た
キハ28・58編成。
その隣には速星駅に隣接する化成品工場向けの貨物列車。
DE10ディーゼル機関車が牽く貨物列車も「当たり前の存在」だったのである。
確か、すでにここも新型機関車に置き換えられた...ような。(曖昧な記憶)
同じDE10型が牽いている貨物列車、水島臨海鉄道直通の西岡山-東水島間の
列車も貴重な被写体なのである。(既に機関車の置換えの予定が...)
この写真、よ~~~く目を凝らせば、奥には“食パン電車”419系の北陸ローカルが
写っているし、それより何より。
国鉄時代からの跨線橋と、テルハがあった頃のものと思しきエレベータの姿が
ちょっとだけ写り込んでいる。
【2009年3月4日15時45分】 富山県富山市牛島町・富山駅北口付近
この頃から<変態鉄>の“定宿”は駅北にあるホテルだった。
かつての「駅裏」は国鉄の操車場と貯木場がある、正直言って寂れたエリアだった
のだが、多くの企業の本社ビルがあって、見違えるほどになっていたのである。
その駅北口バス停で見かけて、あわててカメラを向けたのは地鉄バスの393号車。
だいぶ数は少なくなっていたが、まだまだ探せば「青バス」が見つかった富山駅前。
このバス乗り場の後ろにあったのが...
【2009年3月4日15時43分】 富山ライトレール・富山駅北電停
「富山ライトレール線」の「富山駅北」電停だった。
ここにあった車止めは既に撤去され、ここには線路が敷かれている。
新幹線開業に伴い北陸本線...改め「あいの風とやま線」も高架化され、そのあとに
路面電車の線路が延伸されたわけで。
この「駅北」もすでに過去のシーンなのである。
【2009年3月18日21時19分】 富山ライトレール・富山駅北-インテック前
LRT化だけでも画期的な“事件”だったのに、それが、今度は地鉄になって。
ここの場所で南富山にいた電車たちも撮ることができるようになる。
尤も、この古豪たちは入線できないのだが...
【2009年3月5日15時58分】 富山地鉄市内軌道線・地鉄ビル前-富山駅前(当時)
20形電車がなくなって寂しくなった富山地鉄。
でも、<変態鉄>はまたまた富山に撮りに行きたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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路面電車の南北接続、楽しみですね!
私は行けそうにもありませんので変態鉄さんのレポートを
楽しみに待っています。
by サットン (2020-03-20 20:06)
サットンさん
コメントありがとうございます。
開業日には行けませんでしたが、できるだけ早いうちに乗りに行きたいと思っています。
by ferrum_queserasera (2020-03-21 01:30)