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いすみ鉄道「キハ28 2346 撮影会」_2023.8.24(2) [いすみ鉄道]

日付変わって、今日、木曜日は公休日。当初は小湊キハを撮りに五井に行こうかと思っていたが、ちょっと疲れがたまっていて...
何だかそんな事を言って、今夏は全然、<鉄>活動をしなかった自分である。

「来週こそは、来週こそは...」と言い続けているだけで。それでも、また、同じことを言いたくなるのである。ただし、来週からは大相撲9月場所もあって。

さて、8月24日の、いすみ鉄道・国吉駅で行われた「キハ28 2346 撮影会」の話題。

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【2023年8月24日10時12分】 いすみ鉄道線・国吉駅

撮影会の開始は10時、その30分前に現地に到着した。少しずつ参加者が集まり始めて...

まずは、開始までの時間、キハ30 62号車の車内を待合室・荷物置き場として使って良いと言われて。
……  ……

2023年8月24日(木)晴れ

キハ30 62号車は客ドアが開けられており。
パイプを組んだ仮設の簡単な手すりとステップを伝って車内へ。
久留里線時代も非冷房だった車輌、窓が開いているとはいっても車内は蒸し暑く。

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【2023年8月24日9時38分】 いすみ鉄道線・国吉駅(キハ30 62号車内)

いまでも水島臨海鉄道で乗れるが、その“同僚”だった62号車だけは房総半島で保存されている。

無骨なまでの...まったく飾り気のない実用本位の車内。101・103系通勤形電車にも通じる昭和の国鉄型車輌ならではのものである。
そのロングシートの一画に荷物を置いて...

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【2023年8月24日9時39分】 いすみ鉄道線・国吉駅(キハ30 62号車内)

前面貫通扉も風通しのためか開放されていて。

ちょうど向かい側に留置されている206号車の姿が。こちらは、発足直後のJR東日本から転換され、いすみ鉄道が発足したときの最初の車輌、その最後の生き残りでもある。(茂原市内と「ポッポの丘」に保存車はあるほか、海外譲渡された個体は、レールバスから「貴賓車」へと異例の出世をしている)
ただ、この206号車、近々、この地を離れるのだとか離れないのだとか。残念ながら、正直言って車輌の状態が良いとは言えず。

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【2023年8月24日9時40分】 いすみ鉄道線・国吉駅(キハ30 62号車内)

そして、ここから、奥の木立の手前まで本線に沿って運転体験などに使われる線路が敷かれており。
キハ30形の構内運転も撮ったことがあって。でも、その展示線、いまは完全に草に覆われており、線路の存在すら見つけることは難しく。
せっかく、キハ28形が来たので、ここも有効に活用してほしい...などと勝手なことを思いつつ。

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【2023年8月24日9時44分】 いすみ鉄道線・国吉駅

すでにSさんと、広報担当の方がいらっしゃっていて。ヘッドマークもガードレール沿いに置かれており、準備万端。否が応でも期待は高まるのである。
いままで、何度も撮ったいすみ鉄道の「昭和の観光急行」を彩ったヘッドマークたちである。

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【2023年8月24日10時02分】 いすみ鉄道線・国吉駅

国吉駅 9:54発の第8D列車で最後の1名が来て全員、受付完了とのこと。参加者数は6名(定員10名)、もちろん、参加者の1人としては参加者は少なければ少ないほど撮りやすいのである。
その第8D列車が発車すると、撮影会の注意事項などの簡単な説明があって。
キハの前に集まって撮影開始。

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【2023年8月24日10時08分】 いすみ鉄道線・国吉駅

房総地区の気動車優等列車のトレインマークを、そのモデルとなった実際の列車の順番に合わせて紹介していく形式で行われ。
それにしても、Sさんの、詳細かつ明快な説明!! 

この撮影会のために、いろいろと調べて準備されてきたこともあるのだろうが、それだけではない造詣の深さと、地元出身ならではの実体験からのお話。う〜ん、「撮影会」でなくても「講演会」としてお話を聞くだけでも行く価値のあるイベントになりそうな...

さて、1953年(昭和28年)、戦後の混乱も落ち着き高度成長期に入る頃になると、それまで蒸気機関車列車が中心だった千葉地区は、ディーゼル列車化のモデル線区になって。その後、愛称つき列車の第一弾となったのは「快速 房総の休日」号だった。
1955年(昭和30年)に運行を開始した行楽快速列車である。当初は新宿から千葉、安房鴨川を経由して、房総半島を1周して新宿に戻る経路(房総西線・房総東線経由)、後には、さらに銚子・外川ゆきの総武本線編成も併結して。

そう、現在では快速線と緩行線に分けて複々線化されている錦糸町〜千葉間だが、当時は千葉までが複線。そこに国電と銚子・房総方面が...
そのため、「多層階建列車」が多かったのも大きな特徴で。

まず、キハ28形の前面に掲出されたのは羽根付き「快速 房総の休日」号である。命名の由来は、たぶん、映画作品かと思われる。
こぼれ話として銚子編成は、そのまま銚子電鉄に乗り入れたが、銚子電鉄の線路はキハの重さに耐えられず...苦労があったのだとか。

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【2023年8月24日10時08分】 いすみ鉄道線・国吉駅

ちょうど206号車の前付近で、キハの前側を左右に往復しながら撮るだけ。撮影会として、少しでも変化を付けたくて右往左往。
キハ30形と並んだシーンは往年の千葉気動車区のようで...(← 見たこと無いくせに!!)

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【2023年8月24日10時09分】 いすみ鉄道線・国吉駅

ただし、この時期、キハ28形自体、製造が始まっておらず、初期には房総に、そんな豪華な車輌が配属されるわけ無く。
つまり、このマークを掲出しているのも時代考証的には「?」なのである。
もちろん、いすみ鉄道の観光急行(というか、その“前走”の朝の「快速100D列車」)としてはキハ28形に取り付けられているが...

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【1997年5月】 茨城交通(当時)湊線・那珂湊駅

鉄道誌の記述などを調べてみても、実際に「房総の休日」として走ったのは主にキハ17系だったとされ。
たぶん、この紺色と黄褐色の旧塗装で...だったはず。

両運転台式のキハ11形は当時は少数派だった筈だが、自分は茨城交通で、まさに“葬式鉄”、一度だけ走っているところを撮ることができた。
その時代のヘッドマークたちを...

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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