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いすみ鉄道、晩秋。20201206(5)ポッポの丘の保存車(その4) [保存車・博物館・廃線跡]

誠に遺憾ながら、今日の“出撃”を見送ったのだった。朝、少しゆっくり起きて
窓を開ければ、真っ青な...真蒼?? 青く透き通った空を見上げながら...。
これが<会社員鉄>の辛さである。いや、コロナの関係で外出するな、と職場で
指示された...とかではない。そんなものなら全然、守る気は無い。
持ち帰った仕事が全然終わる気配がないのである。行きたい所はいろいろある。

そもそも、<変態鉄>の趣味活動は基本的に単独行動。ワイワイ騒ぐことなど
ないのである。食事だって、撮影に行くと昼食をとる方が少ないかも。
せいぜい、近くのコンビニで菓子パンと缶コーヒーを買って、列車待ちの間に
もぐもぐタイム。女子ゴルファーの“もぐもぐ”はカメラマン注目だろうが、
<変態鉄>が線路脇でパンを囓っている姿など、誰からも注目されない。

場合によっては、1日でコトバをかわすのが、駅の窓口で乗車券を買うときと
ホテルのフロントと、「あっ、袋、要らないですぅ、あと、Edyで!!」と、
コンビニのレジで発するコトバくらい...という1日も。

初訪問の街なら、アレコレ見て回ることもあるが、通い慣れた撮影地なら
そんなものなのである。むしろ、職場にいるよりも感染リスクだって減りそう。
『病は気から』、職場にいるだけでビョーキになりそう。趣味活動の方が
メンタル面には極めて良好な...。

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【2020年12月6日10時49分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

模型のスプレー缶塗装にも悩んでいた<変態鉄>にとって、こういう...
1/1...というか実物の保存車の保存活動にかかわる方々に対しては尊敬と憧れ
しかないのである。「素人でも参加できます」と募集しているところもあるけれど
自分が行けば足を引っ張るだけ、なのは火を見るより明らか。

そんな<変態鉄>なのである。

それでは、引っ張りに引っ張っている「ポッポの丘」の保存車の話題。
24系寝台客車の車内が公開されており。オロネ(→ A寝台)とオハネフ(→ B寝台)
の「-2」という最初期の番号をもつ2両がこの地に保存されている。
……  ……

2020年12月6日(日)晴れ一時くもり

「風呂なし」「トイレ共用」「食事なし」のホテルが1万以上のルームチャージ
だったら、誰も泊まらない。でも、開放型寝台車というのはそんな感じだった。
いま思えば、ノスタルジーなどそういった感情的なものがなければ、
「前夜のヒコーキで現地入りしてビジホで1泊」の方が、どう考えても合理的。

でも、<変態鉄>の世代にとっては紺色の車体の寝台客車が機関車に牽かれて...
という寝台列車は憧れそのものだった。

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【2001年3月頃】 山陽本線・岡山駅

<変態鉄>は家が意外と厳しかった。夜行列車に乗って、あちこち出歩くのが
認められるようになったのは高校に入ってから。その頃、学校内の売店で昼食を
買うといって、親からもらった、おカネをせっせと貯めて...
それで「青春18きっぷ」を買って長い休みに出かけていた<変態ガキ鉄>である。
当時は西日本地区の「快速 ムーンライト」をはじめ、自由席連結の夜行快速も
多かった。それに、周遊券を買えば各地の夜行急行や地域によっては特急も乗れた。
自由席連結の夜行列車は、当たり前の存在だったのである。

この頃の<変態鉄>、精一杯、頑張って...、そして親と交渉して前借り。
そして何とか、まさに『清水の舞台から飛び降りる』、みどりの窓口で鼻息荒く
「寝台券を!!」と言えたのは、開放式B寝台車。寝台料金は(消費税率の関係で)
6,180円だったと記憶している。当時は、一部の急行列車にだけ「客車3段式B寝台」
が残っていた。これなら、5,150円である。それでも、当時の<ガキ鉄>には...

だから、ホームに新聞紙を敷いて、夜行快速の自由席の“座席争奪戦”を待つ間、
同じホームから発車していく特急寝台列車というのは、まさに憧れの存在だった。

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幸い、オトナになってから何度か乗車する機会も得た。アルバイトで貯めたお金で
A個室寝台に乗車する機会も得た。(確か寝台料金だけで13,000円ほどだった)

でも、冒頭にも書いたとおり寝台列車というのは日本では既に役目を終えていた
のは考えてみれば当然だった。国鉄が分割民営化された時点で、先行きは決まって
いたと言うことかも知れない。表面的には「乗車率低下と車輌老朽化」と
言われるが、現実には“オトナの事情”というのが背景にあるということが
報道の“行間”から感じ取れるような年齢になったとき、既に夜行列車は事実上、
過去のものになっていたのである。

……  ……

さぁ、ロープを潜って。
カメラバッグを地べたに投げ置いて...

カメラ片手にステップに足を掛け、オロネ24-2号車に飛び乗るのだった。

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【2020年12月6日10時22分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

戸袋を省略することが客室内にドアの開け閉めの際の騒音を防ぐ...という話
だったらしく...、昭和40年代前後の特急用車輌には少なからず採用された。
(北海道仕様だけは凍結防止のために不採用)

この、狭幅の2枚折り戸。薄暗いホームで、足下に白熱電球が点灯しているのが
<変態鉄>の時代の“当たり前”だった。

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【2020年12月6日10時22分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

A寝台車には旅客専務車掌が乗務するのが通例だった。
そのため、ドア横には車掌スイッチが付いている。「此車」「他車」の2個に
分かれているのも、懐かしい。
(このタイプはいろいろな所にある。そういえば、名鉄モ510形もコレだった...)

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【2020年12月6日10時22分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

客室への入口のところに車掌室がある。紺色のボックスシート、背後には
冷暖房などのスイッチや方向幕指示器が見える。車掌さんは1人でギリギリの
狭いスペースに枕木方向にデッキの方を見て座る形になる。

そのとき、正面に当たる位置、壁沿いのテーブルにはPA-2型車内放送装置が
置かれていたはず。(いまは無線機の台座だけ!?)

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【2020年12月6日10時22分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

開放式A寝台車というのは、<変態鉄>にとってはあまり馴染みのないもの。
<鉄>な本の写真で知ってはいたが、既に国鉄末期にはサービス水準の向上の
ために、A寝台車の個室化が進められており。なぜか、最後まで「日本海」号に
これが残っていた。赤絨毯がA寝台の証...だろうか。

当初、国鉄が輸入した海外製寝台車のメーカー名から「プルマン式」と呼ばれる
中央通路式寝台車、つまり、夜はレール方向に横になるタイプ。
<変態鉄>としては、583系寝台電車のB寝台で何度か経験。
(もちろん、赤絨毯はなかったはず)
自分としては不慣れだった分、寝るとき以外の時間帯に過ごす場所に困って
あまり好感が持てなかった。

一方で...

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【2020年12月6日10時23分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

コチラが、<変態鉄>にとっては涙が出そうなくらい、懐かしい風景。
住宅メーカーが手がけた木目調の内装...現在の「サンライズ」号では味わえない
これぞ、「寝台車」なのである。

学生時代、憧れの存在に何とか手が届いた...のは、このタイプのB寝台車。
片側通路式で枕木方向に寝台が並んでいる...欧米では「簡易寝台車」という
分類になるのだそうだが、国鉄では戦前の「3等寝台車」に端を発して、こちらが
主流だった。

夜、眠れないときに通路側の折りたたみ座席を下ろして、ボンヤリ座っていた。
う~ん、懐かしい。

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【2020年12月6日10時24分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

ただ、もちろん<変態鉄>が知っているのとは、ちょっと違う部分も。
枕元にある小さなライト。もっと角張ったタイプで四角くてちょっと堅い
押しボタンがあるタイプだったと思う。
「寝台使用中は禁煙」のプレートは懐かしいもの。

<変態鉄>としては、24系より14系の方が乗車する機会が多かったとはいえ、
両者の違いは電源方式の違いだけで車内はほぼ共通仕様。

客観的に見れば、決して居住性が良いわけではない。連結器の構造上、
ガクンガクンと前後に揺れるので乗り心地だって決して良いものでは無い。
でも、過去の記憶が美化される...という分を差し引いたとしても、
いやはや、コレはホントに懐かしかったのである。

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【2020年12月6日10時25分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

そんなオハネフ24-2号車。

ちなみに車番の下にある「昭和58年 土崎工場」という改造銘板はB寝台の2段化
改造のものと思われる。24系も初期車は3段式B寝台車として製造され、後に
2段化改造を受けている。2段化に伴い、ベッドをセットしたままでも座れる
ということで、昼行区間でのベッドの取り片付け作業を省略するようになるため
車体外観では窓の大きさなどに変化が見られる。自分は3段式で製造された
大窓タイプの方が好きだが...

もう1つ。

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【2020年12月6日10時26分】 千葉県いすみ市作田・ポッポの丘

デッキ部分のコレも。最近ではコンビニや自販機で飲料水を買うのが
当たり前になったが...
あの折りたたみ紙コップに冷水を注いで...
0系新幹線でも、よく水を飲んでいた。

さて、これら2両。

ともに1973年(昭和48年)製造、<変態鉄>の5歳上である。
向日町(京都)、品川、青森、秋田と転じて、東北地方で分割民営化を迎え、
その後は長らく青森配置で特急「日本海」などに使われたとのこと。

あんなことや、こんなこと...いろいろ思い出されてきて、乗車機会はそう多くは
なかったものの、「寝台車の思い出」というテーマでいくつも記事が書けそうな。

そんな2両の寝台客車を後に...(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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