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信濃路へ「ゆたんぽ」を見に(4)城下駅で「ゆたんぽ」<中編> [<鉄>な撮影記・旅行記録]

幸い?? <変態鉄>は「どうしても食べられない」というものはあまりない。
“偏食”というのがあまりないのが特徴かも知れない。でも、苦手なものは
あるわけで。子どもの頃、食べさせられるのが苦痛なものに“ホウレン草”が
あった。別に食べられないわけでは無かったが、できれば...イヤだった。

でも、オッサンになって。いまでは冷凍庫にスーパーで買ってきた
カット済みのヤツを常備している。これまたスーパーで買い込んできた
短冊ベーコンをテキトーに炒めつつ、ドバドバドバ...とフライパンに
冷凍ホウレンソウを投入し、クシャミが止まらなくなるまでコショウを振りかけ
火が通ったと思ったところで、これまた冷蔵庫からバターをとり出して...

先に火を止めてから、グワァ~~と、思いっきりかき混ぜたら完成。
“料理”と呼ぶのは憚られるような...、でも、コレとあったかいご飯で。
まさに“オッサン一人飯”に相応しいテキトーなつくり方で...

まさか自分の意思でホウレン草を食べるとは思ってもみなかった。
子どもの頃はキライだったものが、年齢を重ねるごとに、その味わいがわかる...

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【2019年9月26日6時35分】 富山地鉄上滝不二越線・大庄-月岡

自分の趣味活動を振り返れば、その1つは東急のステンレス電車だったかも。
最近のカマキリ顔の車輌は、全然好きになれないし、富山に行ってまで
乗りたいとは思わないが...

小さい頃から地下鉄半蔵門線の沿線に住んでいた<変態鉄>にとって、
東急から乗り入れてくる8500系は、一番よく乗ったかも知れない。

幼稚園から小学校に上がる頃、永田町が始発駅だった頃も何となく覚えている。
でも、真四角でギンギラギンの電車、前面には赤帯が入っていたが側面には
何にも無くて。何だか殺風景な電車に見えて仕方なかった。

お読みの皆さんは、もちろんご存じの通り、拙ブログはマジメな<鉄>ブログ
ではない。あくまで<変態鉄>が書くテキトーなブログである。
その<変態鉄>が、あくまでテキトーに、今回の“主役”5200系を紹介すると...

……  ……

戦後の混乱期から高度成長期に移り変わっていく昭和30年台、鉄道史に残るような
名車の数々が出てくる。<変態鉄>も、本の中でみて、一番、コーフンする時代。

その頃、車輌の開発・製造で重要なポイントになっていたのが「車輌の軽量化」、
私鉄では高速運転や線路など設備のメンテナンスの容易化、一方の国鉄では
限られた牽引定数の中で客車の長編成化による急増する旅客需要を捌くこと...
目的はさまざまだったが、軽量構造の車輌が次々に出てくる。

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【2013年9月8日11時32分】 アルピコ交通・新村車庫

頑丈な台枠、簡単に言えば“土台”の上に骨組みを作って、その表面に鋼板を
張って...、そんな“常識”を覆した(?)、モノコック(張殻)構造を採用したのが
東急5000系「青ガエル」だった。

そして...

「青ガエル」は普通鋼製、となると腐食を防ぐためにも鋼板はある程度の厚みが
必要であり、また、外板は塗装が不可欠になる。
そこで、普通鋼製では無くアルミやステンレスを車体に採用したら...

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【2020年9月16日11時45分】 上田電鉄別所線・城下駅

そのはしりといえるのが5200系だった。
しかし、オールステンレスにするのではなくて、“セミステンレス”。
普通鋼製の表面にステンレス鋼を...

もちろんメリットは無塗装でも錆びないこと。

ステンレスを薄くしつつ剛性を保つため、コルゲート(波板)が付いており...。
つまり「青ガエル」のステンレス版といった感じ。ただし、「青ガエル」よりも
車体重量は重くなってしまっている。

当時の<鉄>にとって、波板を巻いたギンギラギンの電車というのは、さぞ
驚いたのでは無かろうか、付いた仇名が「湯たんぽ」、「ステンレスガエル」。

別に失敗...ではないが、考えようによっては、これは以後のステンレス車に
繋がる試作車的な位置づけの形式だったと言えなくも無さそうで。1958年
(昭和33年)に4両(当初は3両、後に中間車1両を増備)だけで製造が終了。
1986年(昭和61年)頃までに東急での運用を終了、ちょうど廃車の時期に
当時の上田交通(現・上田電鉄)が架線電圧を1,500 Vに昇圧することになり、
それに合わせて車輌を更新する必要ができて。

その折、深い関係にあった東急から、ちょうど余剰になったと言うことで
「青ガエル」といっしょに、このマイナーな形式も譲渡されたのだった。

そんな東急5200系。

後の増備は、同じセミステンレス構造のまま、走行機器を一新した6000系に
取って代わられ、「湯たんぽ」の仇名も、そちらを指すことが多いみたいだが
こちらも短期間で増備を終了。

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【2019年1月5日11時04分】 水間鉄道・水間観音駅付近

オールステンレスの7000系が登場する。<変態鉄>は小学4年生の頃から、
当時、八丁堀駅の近くにあった学習塾に通うことになり、その当時、日比谷線で
何度となく乗車する機会があった。側面に青地に白文字「日比谷線直通」の
サボが挿さっていたのをよく覚えている。

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【1994年3月頃】 東急電鉄東横線・代官山-渋谷(当時)

この後の...90年台までの東急電車といえば、真四角のステンレス電車。
それが東急の代名詞のような感じになって。最初はギンギラギンで何の装飾も...
後に警戒色も兼ねてか、赤帯が入るモのが増え、90年台には“歌舞伎色”などと
いうのも存在した。

この頃、<変態鉄>は井の頭線沿いに転居することになり、通学の経路も変わり
東急電車に乗る機会も無くなっていくのだった。

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【2018年2月14日12時38分】 西武池袋線・ひばりヶ丘-保谷

だから、2000年台に入ってからは、全然分からず。

要は、<変態鉄>が子どもの頃に何度も乗った電車の、そのスタートとなった
車輌で、その<変態ガキ鉄>が趣味活動を開始する頃に東京を去った車輌である。


2020年9月16日(水)晴れ

下りホームに停められている5200系。
上田交通(当時)に譲渡される際に電装解除(クハ化)されたのが5251号車。
いっしょに上田に行った「青ガエル」が解体された後も車庫内の倉庫として
残ったのは、やはり、ステンレスだから...ということだろうか。

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【2020年9月16日11時36分】 上田電鉄別所線・城下駅

しばらく前に県内の他の私鉄からパンタグラフを譲り受けて、それらを使って
原型の制御電動車時代の姿に復元されて...

普段は下之郷車庫で非公開で置かれているのだが...

向かい側、上り線側に設けられた撮影スペースから斜め前方の記録写真を
撮ったら、つづいて...

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【2020年9月16日11時49分】 上田電鉄別所線・城下駅

そう、<変態鉄>もグッズを購入したので下りホームに入構する“権利”が。
プレハブの仮設駅舎の裏側の通路を進めば、第4種踏切、これを渡れば
下りホームへ上がることができる。線路際の...いまは電車の来ない場所だが、
線路際には黄色と薄紅色のコスモスが咲いていて。
春先から仕事に忙殺されるうち、いつの間にか秋が来ていることを感じつつ。

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【2020年9月16日11時49分】 上田電鉄別所線・城下駅

さぁ、ホームに上がれば。

もちろん、倉庫代用とするのにあたって板で塞がれてはいるものの、
それでも昭和の東急電車の特徴でもある広幅貫通路もしっかり見て取れる。

5200系の後ろ姿である。妻面にもしっかりコルゲートが入っており。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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