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初めて、美濃を訪れた日(1991年12月24日、関・美濃へ) [思い出の名鉄岐阜線]

う~ん、記事を更新できる時刻が毎日バラバラになっており...
楽しみにしていただいている皆さんには、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

拙ブログ、岐阜の路面電車の話題が、なぜか人気なようで...
以前にも書いたが、初めて“一眼レフ”...廉価版のものだったが...を持ったのは
1991年、中学2年生の頃だった。それで、91年7月に、生まれて初めて、走っている
電車にカメラを向けたのは、岐阜の忠節橋南詰の歩道橋から当時の名鉄岐阜市内線の
電車を撮ったときだった。それから30年近くにわたって、何度かの中断を挟みつつ
「<撮り鉄>生活」が続いている。

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【1991年12月24日】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅

「クリスマス・イブに何しているんだ!?」

とか、そういういことを言うのは野暮。
冬休みを利用して、単身赴任の父のところへと...というか、もちろん、そこを
ベースにしてアチコチ動き回るのが目的だが...。

その中で、初めて美濃町線を終点まで乗ってみることにしたのである。

ただ、この当時、<変態鉄>は<撮り鉄>を目的とした外出をするようなタイプ
ではなかった。この当時の写真、いま見ると鉄分の希薄なものが多いのを
ご了承いただきたい。

……  ……

1991年12月24日 晴れ

この日は朝、新岐阜駅から田神線経由の電車に乗って新関へと向かったはず。
当時の美濃町線(田神線)は新岐阜-新関間が15分ヘッド、その4本に1本、
60分間隔で「美濃接続・新関」という行き先表示の電車が。

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【1991年4月頃】 名鉄田神線(当時)・新岐阜駅

早朝・深夜の出入庫を除いて、複電圧車や連接車が新関以遠に入線することはなく
日中は新岐阜-新関を基本として、30分に1本の割合で、徹明町-日野橋が入り、
(その場合は、競輪場前-日野橋で続行票が掲出された)

この当時は、まだワンマン化されておらず、車掌さんが車内を回って乗車券を
販売していたし、途中駅で運転士さんがホームに降りてタブレットを交換する
光景も見られていた。

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【1991年12月24日】 岐阜県関市

まずは新関駅で下車して関の街を散策したはず。

やはり、<鉄>。まず向かったのは...

写真の地図で右下付近、妙に足の長いカップルの足の先のところ...
シールで「関口駅」と書かれている。関市の左(東)が岐阜市方面。地図の左側に
赤い線で名鉄美濃町線が描かれている。地図の左上から右下へのびる線には白黒の
国鉄線の地図記号が使われており。よく見れば「越美南線」の文字が。

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【1991年12月24日】 長良川鉄道・関駅

いすみ鉄道などと同様に国鉄再建法の絡みで第3セクターに転換された
長良川鉄道の線路。まず、関駅から関口駅まで2駅、短区間の乗車をして...

関駅には駅員さんの姿。当時の<変態ガキ鉄>、覚え立ての用語を使いたくて。

「コウケンニュージョウケンって、ありますか??」

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【1991年12月24日】 長良川鉄道・関駅

入場券だけでなく、探してくれて...
「検」の赤い印が押されたA型硬券入場券を持ってきてくれて。
当時の<変態ガキ鉄>、思わぬ親切に大いに感謝だったのである。

その硬券、たぶん実家の部屋を“捜索”したら出てくるかと...

関口駅から散策スタート。

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【1991年12月24日】 岐阜県関市

いまとなっては朧気な記憶だが、三重塔があるお寺を訪れて。
先の地図から考えると吉田観音。

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【1991年12月24日】 岐阜県関市

関と言えば何と言っても「刀鍛冶の町」として有名な訳で。
確か、建物の2階にあった関の刃物の展示施設のようなところを見学した記憶が...

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【1991年12月24日】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅

そして、決して広くない関の中心街を散策して、お昼前に再び新関駅。

待つこと暫し...

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【1991年12月24日】 名鉄美濃町線(当時)・新関駅

とうとう、この電車に乗れる日がやって来た。
<鉄>な本の中で、美濃町線の末端区間でしか見ることができない、
“路面電車らしい路面電車”が居ることを知って、いつか、乗ってみたいと
思っていたのだった。モ590形は、そもそも戦後、岐阜市内線用として製造され、
後に美濃町線(新関-美濃)の折返し運用“専属”になったもの。

この電車はワンマン化が行われており。

この約10年後、新関-美濃は、全廃に先だって廃止となっている。
先ほど出てきた長良川鉄道が関-美濃間で並走する形になる...というのが理由。
さすがに、車齢の高いモ590形も同区間と運命をともにする...と思っていたら、
ぬぁんと...リニューアル工事の上、岐阜市内区間(徹明町運用)にコンバート、
岐阜600V線の最後の日まで活躍しただけでなく、さらにさらに...
南国・土佐に転じて、今日も走っているのだから強運な電車である。

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【1991年12月24日】 岐阜県美濃市

美濃では、この日も「卯建のある街並み」を歩いて。

<鉄>でありながら、あの特徴的な駅舎は撮っておらず。

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【1991年12月24日】 岐阜県美濃市

復元だろうか、街中には城址もあって。そんなところを歩きまわった。
いまなら、行ったことのない町でもネットで検索すれば、その風景を見ることが
簡単にできるようになった。

でも、当時は行ってみないとわからないことが当たり前で。
見るもの全てが兎に角、新鮮だったのである。
もっと<鉄>活動に専念しておけば、もっと貴重なカットを撮れていたかも
知れないが、コレはコレで自分としては納得しているのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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