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紅い丸窓電車、最後の日々(2005年2月 名鉄岐阜線撮影記)(1) [思い出の名鉄岐阜線]

まぁ、ちょっと...
ニュースを見て思うことを。

「マスクが手に入らない!!」というのだが...

“増産で月産7億枚の供給確保”

と報道されている。

「増産しているというのに、マスクを売っているのを見かけない!!」
と、そんなコメントがネットでも見かけるのだが...

単純に考えて、日本の人口を1億2千万人位とする。1ヶ月が30日だとして、
国民みんなが毎日1枚ずつ不織布マスクを使うとすれば、

毎月の需要は、36億枚。

あの、「35億」というネタは、あながちハズレではない!?

そうすると、毎月、約30億枚の不足分を輸入する必要が生じるはずで。
欧米をはじめ世界的に需要が急増している時期に、この数を確保するのは困難で
あるのは言うまでもなく。

「いつでも買える」という感覚になれるためには、この何倍かの供給が必要と
思われる。そう考えれば、「お店に行けば、いつでも買える」になるのは、
この感染が一段落して、世の中が落ち着いて、さらにしばらく経ってから...になる
と考えた方が良いのではないかと思っている。

そういう意味では“アベノマスク”も、いま、実行可能なオプションの中では
(ベストではないにせよ)現実的な施策ではないか...と思う<変態鉄>である。

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この箱が空っぽになった途端、<変態鉄>の顔は丸腰になる。
“アベノマスク”に「特大」サイズが入ってくれることを願って止まない。
(レギュラーサイズでは使い物にならない...のである)

さて、久々に長々と余計な話を。

せっかく自宅にいるので、シコシコとスキャナーに古いネガを入れて。
久々に、この真紅の電車をご紹介しようと。旧ブログと一部、重複する部分も
あるのだが...

というのも...
……  ……

数年前、一時、こういう簡易型の「フィルムスキャナ」というのを使っていた。
これ、フレームにネガを挟んで、手で引いて1コマ分ずつ移動させて、上にある
ボタンを押すだけ...という超簡単な操作で。

102_IMG_6137.JPG

と思って買ったのだが、つまり、単焦点の小さなデジカメが、この箱状の部分に
入っていて、ネガを1コマずつ撮影しているだけ。

埃や汚れも写り込むし(内部の清掃が面倒で...)、その撮影部分も廉価版で...
(いや、本体価格から考えても“織り込み済み”だったが...)
色味もヘンだし、画質も不十分。ブログに貼るのすら、ちょっと躊躇する位の
画質だったのである。

ということで、長らく実家の引き出しに眠っている。

せっかく自宅にいる時間ができたのだから...

まだスキャンせずにネガアルバムに眠っているネガたちと、この簡易スキャナで
読み込んだだけのネガを再度、Canon の汎用スキャナで読み取ってみようと。

そんな作業をシコシコと進めているのである。

その中から、2005年、いまから15年前に全廃された「名鉄岐阜600V線」の最末期。
見事なまでの<葬式鉄>として撮りに行ったときの画像をご紹介したい。

でも、前置きが長いのは拙ブログの特徴ということで。

……  ……

2005年3月に全線が廃線となることが決まっていた「名鉄岐阜600V線」。

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岐阜市街地を走る路面電車(岐阜市内線)と、東西方向へ...
本巣市を通り、揖斐方面(揖斐線)は最後は黒野まで、西に向かうのは関までの
美濃町線。最後の最後になって急速に近代化が進められた、謎な路線だったが、
それでも、郊外には「平成」とは思えないような“田舎軌道”の雰囲気が残る区間が
あって、<変態鉄>にとって大好きな路線だった。

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【1991年4月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・新岐阜駅前電停

1991年、公務員だった父の単身赴任先。休みの度に“100系「ひかり」号”で
岐阜に通ったのだった。その岐阜の街を走っていたのが、名鉄岐阜市内線。
柳ヶ瀬を直進して、岐阜城の近くを通り、長良北町に至る「本線」的な路線は
失われていたが、城下町特有の狭い街路を走る路面電車が残っていた。

ちょうど、カメラを持つようになったのも、この時期だった。
...とはいえ、35-70 mmという標準ズーム1本だけ。量販店で買ったネガフィルムを
入れて、駅のホームでスナップする程度。

そんな<変態ガキ鉄>が一念発起!?

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【1991年7月25日】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町-早田(後追い)

1991年7月25日の昼。歩いて15分ほどだっただろうか、長良川に架かる忠節橋の
南詰の歩道橋にやって来た。

手には、Canon の EOS 750QD という機種。撮影モードは被写体深度優先オートと
プログラムオートだけ。シャッター速度も絞りの設定のダイヤルも付いておらず。
ただ、半押しして「ピピッ」と鳴ったところでシャッターボタンを押すしか
できない、“一眼レフ”といっても、笑われてしまいそうな機種を手に...

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【1992年3月頃】 名鉄揖斐線(当時)・旦ノ島-尻毛

この当時、岐阜市内線は、新岐阜駅前(岐阜駅前)-忠節の市内線区間折返しが
数分間隔、30分間隔で新岐阜駅前-忠節-黒野の直通急行が設定されており。
新型の連接車770形に混じって、大正生まれの510形も運用に就いていた。

“急行”は市内区間も急行。新岐阜駅前を出ると、徹明町、千手堂、西野町、忠節と
ほぼ“隔”駅停車。路面電車区間でも通過駅の設定があるのが珍しかった。

その数分間隔でやってくる電車。ファインダーの中を横切る姿を追いながら
必死でシャッターを切ったのが、この1枚。

日付を印字しているあたりが、初々しさだろうか。
走っている電車を狙って撮った、これが<変態鉄>の“<撮り鉄>の原点”だった。

そんな岐阜の路面電車、自分にとっての“<撮り鉄>の原点”が消えると聞けば、
心中穏やかで居られるはずも無く。休みの度に新幹線で...

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【2013年8月15日8時59分】 岐阜県岐阜市金町・金公園

名鉄岐阜600V線。最末期には新型電車への置換えが急速に進んだのだが、
でも、大注目の電車が残っていた。

ぬぁんと、1926年(大正15年)、名鉄の前身、美濃電のセミボ510形として製造
された、名鉄モ510形。楕円形5枚窓は大正末期から昭和初期の私鉄電車で流行った
車体形状、側面の戸袋窓は楕円形、だから、通称、丸窓電車。

ただし、末期には定期運用はもっておらず、おもに団体貸切で走るだけの存在に
なっていた。全廃まで残った2両を含めて、平成まで生きながらえた3両全てが
静態保存されているのも、この電車が愛されてた証拠かも。

そんな“丸窓電車”が大学鉄研による団体貸切で走ると聞いて。
1泊2日で岐阜に駆けつけたのは、2005年2月のこと。当時、自分のスケジュールを
考えれば、これが岐阜の電車を撮れる最後のチャンスになることは明々白々だった。

自分にとっての“<撮り鉄>の原点”に最後の別れを告げに...

その“本番”前夜の話題が昨日と一昨日の記事。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・忠節駅(当時)

忠節駅で“バルブ”して、岐阜駅前のホテルに戻り。

そして、翌朝。この日、モ510形は普段の揖斐線ではなく、生まれ故郷の...!?
美濃町線へと運転されることになっていた。

自分にとって美濃町線でモ510形を撮るのは、これが最初で最後の機会。
あまり撮影地も分からないのだが...

最初は...

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【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・白金駅(当時)

シロガネーゼ...では無くて、美濃町線の白金駅。
それにしても、これだけ、アレコレ、言っておいて“駅撮り”!?

でも、それが当時の<変態鉄>。
“勝負どころ”だからこそ、確実に撮れる場所として駅撮りを選ぶのだった。
いまなら、絶対に考えられないが。

いよいよ。

108_IMG_20181007_0065.jpg
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・白金駅(当時)

紅白のあの電車の姿が見えてきた。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

サットン

変態鉄さんの撮り鉄の原点が岐阜だったとは意外ですね。
岐阜市内線は’84年に谷汲に出掛けた際に一度乗っただけですが、
復路はスカーレット一色の510形のお世話になったのではないかと
記憶しています。(あてになりませんが・・・)
その後’05年まで生き長らえたんですね。
by サットン (2020-04-16 17:30) 

ferrum_queserasera

サットンさん

コメントありがとうございます。
特急列車でも無く、JR化後まもない時期の各社が競い合っていた豪華新型列車でも無く、こういう路面電車とローカル私鉄が自分にとっての「原点」でした。
岐阜の電車が消えるときは、ホントにショックで。
「電車がなくなって街が寂れた」のか「街が寂れたから電車がなくなった」のかは分からないですが、廃止後、岐阜の街を訪れるたび、街の衰退を感じてしまいます。
by ferrum_queserasera (2020-04-16 22:15) 

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