青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(12) [保存車・博物館・廃線跡]
いつの間にか日曜日も終わっていて。日付変わって月曜日が、また来ているのである。今週こそ“出撃”したいと思いつつ、なかなか仕事のスケジュールが...、こういうときに限って公休日の天気が良くないのである。
さて、今月から長い長い休園期間に入っている青梅鉄道公園。
その保存車たちの中で最後に搬入された1両が...
【2023年8月22日10時15分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
茶色い旧型国電、クモハ40054号車である。
自分が生まれたのが、(動態保存を除いて)国鉄から蒸気機関車が消えた直後の時期、東京で生まれ育ったから焦げ茶色の旧型客車も、もちろん、旧型国電も例外的なものと保存車でしか知らない世代である。
焦げ茶色の旧型国電...戦前の鉄道省の時代につくられた“省線電車”、かろうじて、鶴見線のクモハ12形と小野田線のクモハ42形には間に合った世代。
でも、このクモハ40054号車、乗車は叶わなかったが、実は一度だけ撮ったことがあって。
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
昭和になる頃から国鉄の車両は大型化されて。17 m車体が基本だったのが20 m車に代わり。客車ならスハ32系からだろうか、同じ頃に東京と大阪の“省電”区間に導入されたのが41系電車。
その両運転台の制御電動車が(後の)クモハ40形である。
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
関東用と関西用で番台区分があったようで、この車両は「モハ40134」号車として、1935年(昭和10年)田中車輌工場にて新製。
でも、翌年には早くも関西用の後ろの続き番号に改番され「40054」となっている。(戦後の称号規定改正で制御電動車は「モハ」から「クモハ」に変わっている)
当初は、総武線を皮切りに、中央線、山手線などで活躍したという。
具体的な資料は確認できなかったが、説明板では「昭和20年代半ばに青梅線に配属されたこともあり」との記述があった。
【2023年8月22日10時39分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
ちょうど、青梅鉄道公園ができる頃、つまり、カラフルな新性能電車に追われるような形で、このクモハ40054号車は日光線に転じたようで。
1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)の新性能化まで小山電車区所属で日光線を走っていた。この当時の写真はネットにも、いくつか上がっており、いわゆる「スカ色」を纏っている。
【2023年8月22日10時15分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
日光線の新性能化と運命をともにするかと思いきや、両運転台式で単行で運転可能というのか幸いしたのか、開設される国府津電車区への職員輸送用に国府津に転じて。そのまま、分割民営化に伴いJR東日本に承継されている。
そのまま国府津所属になって。分割民営化後はイベント用(動態保存)として、もう1両、車籍復活させたクモハ40074号車とともに活躍した。
1988年に分割民営化され、その直後からイベント用車となり。廃車は2006年、そのちょうど“真ん中あたり”の1998年5月、なぜか、<変態鉄>は青梅線に撮りに行っていたのである。
2007年、青梅鉄道公園に搬入されている。
さて、その姿。
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
車体裾の車番は、現役時代から...だろうか!?
国鉄の“由緒正しい”書体とは似ても似つかぬゴシック体(?)の標記である。
こういうところはちょっと残念。
まぁ、それだけ長生きした車輌だったということでもあるのだが...
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
でも、それより残念なのは車体側面。ぶどう色2号の車体色は色褪せてミルクチョコレート色に変化しており。
塗膜が剥がれているのだろうか、茶色いのが垂れ下がって、下地の色が見えている箇所が多く。2025年のリニューアルオープン時には美しい姿を取り戻してほしいと願う次第。
…… ……
その、クモハ40形、1998年に一度だけ走っている姿を撮ったのは、昨日の記事で書いた通り。
それが、1998年の5月頃だった...ということまでは分かっていたのだが...
お知恵を借りたくて...(90年代の青梅線)
正確な日付や、それが何のイベントだったのか...、そのあたりは全然分からなくて。前ブログで触れて以来、覚えてはいたが“迷宮入り”のような感じ。自分の中では“永遠の謎”だった。周りに多くのギャラリーが集まっているのは写真からわかったので、貸切運転のようなものではなさそうだが...
そんな“永遠の謎”は、青梅鉄道公園2階の1枚の写真パネルの前で一気に氷解したのだった。
【2023年8月22日10時48分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
旧型国電関連の写真展示の端の方に...
JR東日本八王子支社設立記念 クモハ40乗車会 平成10年5月4日
の文字。一気に懐かしい記憶が...
【2023年8月22日10時44分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
しかも、当日の写真だけでなく記念のイオカード(!!)とか、さらには運転ダイヤまで。思わぬ発見に、密かに大コーフンだった。
その頃、<変態鉄>は“2度目の大学2年生”、正式には「前期課程残留学生」という立場。その大学は中央線の国立駅の正面の大通りを進んだところ、すぐ近くの場所にあった。もちろん、国立駅も八王子支社の管内になり。ポスターか何かを見つけて駆けつけたのだろうか??
通学で乗る快速線の201系電車たちの所属標記もステッカーで「東トタ」から「八トタ」に変わりつつあって。
【1998年5月4日】 青梅線・青梅駅
ということで、15年前の初夏の1日の話題を...。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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さて、今月から長い長い休園期間に入っている青梅鉄道公園。
その保存車たちの中で最後に搬入された1両が...
【2023年8月22日10時15分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
茶色い旧型国電、クモハ40054号車である。
自分が生まれたのが、(動態保存を除いて)国鉄から蒸気機関車が消えた直後の時期、東京で生まれ育ったから焦げ茶色の旧型客車も、もちろん、旧型国電も例外的なものと保存車でしか知らない世代である。
焦げ茶色の旧型国電...戦前の鉄道省の時代につくられた“省線電車”、かろうじて、鶴見線のクモハ12形と小野田線のクモハ42形には間に合った世代。
でも、このクモハ40054号車、乗車は叶わなかったが、実は一度だけ撮ったことがあって。
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
昭和になる頃から国鉄の車両は大型化されて。17 m車体が基本だったのが20 m車に代わり。客車ならスハ32系からだろうか、同じ頃に東京と大阪の“省電”区間に導入されたのが41系電車。
その両運転台の制御電動車が(後の)クモハ40形である。
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
関東用と関西用で番台区分があったようで、この車両は「モハ40134」号車として、1935年(昭和10年)田中車輌工場にて新製。
でも、翌年には早くも関西用の後ろの続き番号に改番され「40054」となっている。(戦後の称号規定改正で制御電動車は「モハ」から「クモハ」に変わっている)
当初は、総武線を皮切りに、中央線、山手線などで活躍したという。
具体的な資料は確認できなかったが、説明板では「昭和20年代半ばに青梅線に配属されたこともあり」との記述があった。
【2023年8月22日10時39分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
ちょうど、青梅鉄道公園ができる頃、つまり、カラフルな新性能電車に追われるような形で、このクモハ40054号車は日光線に転じたようで。
1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)の新性能化まで小山電車区所属で日光線を走っていた。この当時の写真はネットにも、いくつか上がっており、いわゆる「スカ色」を纏っている。
【2023年8月22日10時15分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
日光線の新性能化と運命をともにするかと思いきや、両運転台式で単行で運転可能というのか幸いしたのか、開設される国府津電車区への職員輸送用に国府津に転じて。そのまま、分割民営化に伴いJR東日本に承継されている。
そのまま国府津所属になって。分割民営化後はイベント用(動態保存)として、もう1両、車籍復活させたクモハ40074号車とともに活躍した。
1988年に分割民営化され、その直後からイベント用車となり。廃車は2006年、そのちょうど“真ん中あたり”の1998年5月、なぜか、<変態鉄>は青梅線に撮りに行っていたのである。
2007年、青梅鉄道公園に搬入されている。
さて、その姿。
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
車体裾の車番は、現役時代から...だろうか!?
国鉄の“由緒正しい”書体とは似ても似つかぬゴシック体(?)の標記である。
こういうところはちょっと残念。
まぁ、それだけ長生きした車輌だったということでもあるのだが...
【2023年8月22日11時01分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
でも、それより残念なのは車体側面。ぶどう色2号の車体色は色褪せてミルクチョコレート色に変化しており。
塗膜が剥がれているのだろうか、茶色いのが垂れ下がって、下地の色が見えている箇所が多く。2025年のリニューアルオープン時には美しい姿を取り戻してほしいと願う次第。
…… ……
その、クモハ40形、1998年に一度だけ走っている姿を撮ったのは、昨日の記事で書いた通り。
それが、1998年の5月頃だった...ということまでは分かっていたのだが...
お知恵を借りたくて...(90年代の青梅線)
正確な日付や、それが何のイベントだったのか...、そのあたりは全然分からなくて。前ブログで触れて以来、覚えてはいたが“迷宮入り”のような感じ。自分の中では“永遠の謎”だった。周りに多くのギャラリーが集まっているのは写真からわかったので、貸切運転のようなものではなさそうだが...
そんな“永遠の謎”は、青梅鉄道公園2階の1枚の写真パネルの前で一気に氷解したのだった。
【2023年8月22日10時48分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
旧型国電関連の写真展示の端の方に...
JR東日本八王子支社設立記念 クモハ40乗車会 平成10年5月4日
の文字。一気に懐かしい記憶が...
【2023年8月22日10時44分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
しかも、当日の写真だけでなく記念のイオカード(!!)とか、さらには運転ダイヤまで。思わぬ発見に、密かに大コーフンだった。
その頃、<変態鉄>は“2度目の大学2年生”、正式には「前期課程残留学生」という立場。その大学は中央線の国立駅の正面の大通りを進んだところ、すぐ近くの場所にあった。もちろん、国立駅も八王子支社の管内になり。ポスターか何かを見つけて駆けつけたのだろうか??
通学で乗る快速線の201系電車たちの所属標記もステッカーで「東トタ」から「八トタ」に変わりつつあって。
【1998年5月4日】 青梅線・青梅駅
ということで、15年前の初夏の1日の話題を...。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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