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<鉄>として、夜の街に繰り出して。<後編> [その他の<鐵>話]

昨日に続いての、この話題。
デジカメになってからは、撮った画像をその場で見るのが当たり前。
だから、こういう難しい場面の撮影でも、試し撮りをしておいて、その画像を
見ながら、構図を露光を見直しながら撮影を進めることができて。

初めて“一眼レフ”なるものに触ったのは中学に入った頃だった。
“順光”も“逆光”も分からず...、いや、撮った写真を見るのは現像・プリントが
終わって戻ってきたとき。つまり、撮影から1週間くらいが経過してからのこと。
だから“学習”することもなく、真っ黒な写真を撮り続けていた。

カメラサークルとか学校の写真部とか、何度か入るチャンスはあったのだが、
そういう群れるのが嫌いな<変態鉄>。誰に教わることもなく、あくまで自己流で。

昨日の記事でも触れたように、路面電車で、<撮り鉄>でいうところの“バルブ”、
夜間の長時間露光に挑戦したのは、2005年春の名鉄岐阜600V線の全廃が迫っていた
時期のこと。

苦し紛れというか何というか、どう撮って良いのかも全然分からないのだが、
でも、目の前に撮りたい電車が居るわけで、そして、それはあと数ヶ月で全廃が
決まっており。撮らずには居られなかったのである。

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【2020年1月2日17時31分】 阪堺電軌軌道阪堺線・我孫子道電停

<撮り鉄>各位におかれては、笑っちゃうような話かも知れないが、
<変態鉄>は、何年も何年も悩んで迷い続けて、そして漸く、何とか撮れるように
なった“バルブ”、そのお話しである。

……  ……

初めて“走っている電車”に、狙ってカメラを向けてみたのは1991年の夏。
中学生になった<変態鉄>は当時単身赴任で岐阜にいた父をたずねて
(...という口実で...)岐阜を拠点にあちこちへと。

毎回、必ず名鉄岐阜市内線に乗っていた。当時は吊り掛け駆動の...
真紅の電車たちがひっきりなしに走っていて。

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【2013年8月15日8時59分】 岐阜県岐阜市金町・金公園

そんな思い出の電車が消えることになったのは、2005年の春のこと。
思えば、もう15年になる。経緯があって、人よりだいぶ遅れて大学4年生になる春。
時間を見つけては新幹線に乗って岐阜へと通ったのだった。

その名鉄岐阜線の“ヌシ”ともいえる圧倒的存在感の電車があった。
名鉄の前身(の1つ)である美濃電の電車として大正時代に製造され、昭和の頃、
もう既に“大ベテラン”の域に達していた電車が、揖斐線と岐阜市内線の直通化に
伴って直通急行の任務を与えられ。

<変態鉄>が岐阜に行くようになった頃には、新型の連接車が増えていたが、
それでも夕方には急行としての定期運用もあって。

でも...

当時の<変態ガキ鉄>、お目当ての電車を目の前にすると慌てふためいて。
残念すぎる写真ばかり連発したのだった。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・忠節駅(当時)

廃止までカウントダウン。そんな時期にネットで、そのモ510形が某大学の鉄研の
貸切で日中に走る...という情報を入手。

岐阜へと向かったのである。黒野の車庫に押しかけて、職員の方に無理にお願いして
そのダイヤを教えてもらい。(← 若気の至り、ということで...)
貸切運行の前の晩のうちに配置先の黒野の車庫から、市ノ坪の車庫に回送される
と知って。

夜の忠節駅にやって来たのだった。
鉄道線(揖斐線)と路面電車(岐阜市内線)の結節点は忠節駅。
長良川の北岸にある、名鉄系のスーパーが入ったターミナル駅だった。
いまなら...、広電西広島(己斐)の小型版といった感じだろうか。
揖斐線の行き止まりホーム1番のりばに回送でやって来た。

運転士さんと車掌さんは、すぐに車内灯を消して控室に入って休憩。
その間に“バルブ”である。

やがて、発車時刻になるといったん黒野側に進んで。
今度は向こう側の市内線に直通する方に転線して。その模様を...

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・忠節駅(当時)

いわゆる“バイビーム撃沈”である。
カメラのレンズというのは、何枚もの凸レンズを並べて組み合わせてできている。
暗いところに、ヘッドライトの目映い光があるとレンズに入射した光が
1枚1枚のレンズの表面で反射して、余計な光が写り込むのである。
(もっと眩しいとカメラのオートフォーカスが効かなくなって、撮れなかった...)

でも、そんなことも知らなかったのが当時の<変態鉄>。
東京に戻ってから、撮った写真を見て、思いっきり落胆したのだった。

「鉄道写真」という狭い世界の中ではあっても、<変態鉄>の興味・関心は
少しずつ変わってきて。JR線上に残る国鉄型車輌が中心になっていって。
だから、路面電車を撮る機会も減ったのだが...

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【2009年3月18日21時19分】 富山ライトレール線(当時)・富山駅北-インテック前

高山本線の富山市内区間の活性化を目的とした社会実験。
そのための増発用にキハ58系が転入してきたのは、<変態鉄>には...
離島路線を除けば、羽田発の国内線でも最短の部類に入る、羽田-富山線。
でも、それだけで「特典航空券が貰えるマイル」を貯めてしまうくらいの...
猛烈な勢いで富山に通って。

そのときの“定宿”が駅北のライトレール(当時)の線路沿いだった。
「飛越ゴハチ」の夜運用でバルブに挑戦しても、失敗に失敗を重ねて...
毎回、毎回、落ち込みながら。“オマケ”のつもりで、そのホテルの前で
信号待ちするライトレールの電車を。

コレ、何度目かの挑戦でものにした1枚。
実はここまで、撮った画像を拡大してみると手ブレ写真ばかりだったのである。

はて...??

ネットでアレコレ調べて。(ホント、恥ずかしいレベルの話だが...)

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いまから約10年前。<変態鉄>はコレの存在を認識したのだった。
そう、ぬぁんと、それまで自分、“バルブ”のときもカメラのシャッターボタンを
押していたのである。それなら三脚に載せていても手ブレするのは至極当然。

「レリーズスイッチ」というのがあるのを知ったのである。
いや、コレは画期的な出来事だった(笑)。

これで“バルブ”の際の手ブレを事実上、“撲滅”するまでになって。

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【2013年1月8日18時21分】 福井鉄道福武線・福井駅前電停(当時)

夜の街で撮る電車は、昼間とはまた違った表情を見せてくれて。

さまざまな光が交錯する町の中心部。撮っていて悩みは尽きなかったが、
でも、「夜の路面電車」というのも、<変態鉄>が狙って撮りたい電車に
なっていったのである。

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【2017年6月9日19時44分】 都電荒川線・飛鳥山-王子駅前

そう、だから、思い出の「あおおび」くんのお別れのときも“バルブ”。
このときの露光時間は2.5秒、でも、その2秒半という時間が何分にも何時間にも
感じられる長い長い時間だった。

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【2020年1月2日17時31分】 阪堺電軌軌道阪堺線・我孫子道電停

そして、今年は正月の“撮り初め”から“バルブ”。

ホームの向かい側には光源がなくて、電車の側面が真っ黒になる...
そんな時は対向する列車のヘッドライトの光でカモフラージュ。
そういうヘンなテクばかり身につけてしまった<変態鉄>。

これからも、夜の街でカメラを構えることは、続けていきたい。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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