30年前の秋の日に(「緑化フェア梅小路」臨時駅) [アナログ写真保存庫]
ちょっと仕事がマズいことになっており。昨年度、作ったものがそのまま流用できると思っていたら、ありえないくらい酷い出来栄えで。
コレを作り直さないわけにはいかないのだが、そうなると時間が...
そんな訳で、今日は30年前の写真を貼っただけの記事で。
30年前の1994年、<変態鉄>は高校生だった。カメラの腕は今よりも、もっと遥かにダメダメだったのだが、それでも意欲だけはあって。
全国の路面電車を撮り歩いていた時期。このときは、梅小路周辺でのイベントで、いわゆる、N電の保存車が動態復元されたということで、それを撮りたくて京都まで往復したときの話題。1994年11月ということは確実なのだが、たぶん、日曜に訪れているはず。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
その当時、比較的、マジメにメモを付けていた。だから探せば詳細な日時も分かるはずだが、実家の自分の部屋の“発掘作業”を行わないとダメなのである。
ということで、わかったら、そのあたりは後ほど追記したい。
新宿の...、ヨドバシカメラの向かい側が高速バスの発着所だった頃。深夜の新宿から出発する関東バスの「きょうと」号、この頃は、枚方ゆきだっただろうか。京都駅八条口には朝5時台の到着、3列シートでよく眠れたが、確か、定刻より早着してしまって真っ暗な京都駅前で時間を潰すのに苦労した記憶。
…… ……
このときの<変態鉄>の興味の対象は路面電車オンリーとも言えそうな...
大都市部でも当たり前のように「国鉄型」が走っていたが、そんなのには何の興味も示さず。まぁ、といっても、夕方、夜行バスを待つまでの“暇つぶし”に結構、撮っているのだが。
朝は、駅から近くて一番早くに開門されるから...という極めて不純なキッカケで東本願寺を参拝したっけ!?
朝のうちは三条通を走っていた京阪京津線を撮っていたのだが、順光も逆光も何も考えずに撮っていた写真は、到底、お見せできるものではなくて。
さすがの<変態鉄>でも貼れない位の酷いカットばかり。もうちょっと考えて撮っておけば良かった。
ということで...
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
山陰(嵯峨野)線はイベントに合わせて電車が増発されており。
「全国緑化フェア」の会場は梅小路公園だった。満員の電車...とはいっても乗車時間はあっという間。
板張りの仮設ホームは、ちょうど京都駅の西側、山陰本線が北へと進路を変えるあたりにあっただろうか。
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
当時、221系は東海道・山陽本線の新快速を中心にした運用だった気がする。まさにJR西日本のエース格の電車だった。
“お下がり”が中心だった山陰本線に入ることは珍しかった気がする。
このイベントに合わせたヘッドマークを掲出しており。右側に見えるのは東海道本線、こう見ると臨時駅の様子と位置が分かるカットを残していたもの。
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
113系も当たり前のように走っていた。西日本は国鉄時代の車両配置の方針で関東地方から捻出された経年の深い車両が中心のラインナップだった。
この頃は、ヘッドライトが大目玉で屋根上にグローブ型ベンチレータを付けたタイプが多かったような気がする。狭い4人ボックスシートは、当時、どう考えても“ハズレ”だった。当時、あまり注目することも無かった113系も頻繁にやって来ていて。
そんな様子をスナップしているのも自分には非常に珍しいケースで。
梅小路公園の会場は、当時の蒸気機関車館に隣接しており。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
でも...
肝心の蒸気機関車の写真は“超”が付くほどテキトーな撮り方で。見学者が多くてスッキリしたカットは難しい状況だったのは確かだが、ちょっと、到底、貼ることができない位。マシだったC62 1号機のカットを。
いまでは立派な博物館に姿を変えており。ちなみに、<変態鉄>としては、今でも鉄道博物館よりも隣の梅小路公園に設置されている京都市電の方が気になって...、まだ入館したことがない。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
ただ、やはり、<鉄>の血が騒ぐ部分もあったのだろうか!?
唯一、蒸気機関車をちゃんと撮っていたのは、当時の「スチーム」号。先頭に立つのは8230号機である。
そして、お目当ての梅小路公園は...
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路公園(「緑化フェア」会場)
「駅」が復元された発着所から直線コースの線路を往復しているのに乗車して。明治時代風の制服を来た運転士さんがオープンデッキの運転台に立って。
そして、ちょっと見学したのだった。
確か、後にバッテリートラムに改造されてしまった...のだっただろうか。
原型に近い個体は愛知県の明治村に残っているわけだが...、<鉄>としては本来の姿のままで残しておいて欲しかったと思っている次第。
肝心の「緑化フェア」も見学したはずだが、何の記憶も残っていないという<変態鉄>だった。
さて、夕方、京都駅に戻って。深夜に八条口を発つ「きょうと」号で新宿に戻って、翌朝、フツーに高校に行く...という今の自分からは想像を絶するぐらいの強行軍だった。今なら伊丹からのヒコーキにするだろうが...
【1994年11月】 山陰本線・京都駅
京都駅で時間を潰すためにアレコレ撮っていた。
ちょうど山陰(嵯峨野)線ホームは改装工事真っ只中だった。
ホームで発車を待っていたのは山陰本線特急「あさしお」号、当時は狙って...というよりは、停まっていたから撮ったというだけ。
キハ181系に魅せられるのは、この数年後、大学生になってからだった。思えば、「あさしお」号で京都から餘部鉄橋を通って米子まで乗り通してみたかった。
でも、当時は「あさしお」と聞いても大関 朝潮くらいしか思いつかなかった<変態ガキ鉄>である。
なぜか、この編成。両側でヘッドマークが異なっており。
薄暗い駅舎側は文字だけのマークだった。思いっきりストロボを焚いて撮っている。まぁ、若気の至り...ということでお許しいただきたい。
【1994年11月】 山陰本線・京都駅
そして、下り方先頭部には絵入りのマークが。
程なく、山陰本線の京都口の特急も183系電車に置換えられて。結局、キハ181系「あさしお」号を見たのも撮ったのもこのときが最初で最後だった。
なぜか撮っていた...のは、駅の一番南側に位置していた奈良線ホームの117系。
【1994年11月】 奈良線・京都駅
当時、奈良線の主力は103系だっただろうか。117系運用が珍しかったから撮ったのか、いや、たぶん、何も考えずにカメラを向けただけだったのだろうが、クリーム色に茶色い帯の117系、既に東海道・山陽本線では見る機会が少なかったが、好きな車両だった。
ということで、断片的な記憶を頼りに1994年11月の京都の模様をご紹介した。あぁ、仕事...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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コレを作り直さないわけにはいかないのだが、そうなると時間が...
そんな訳で、今日は30年前の写真を貼っただけの記事で。
30年前の1994年、<変態鉄>は高校生だった。カメラの腕は今よりも、もっと遥かにダメダメだったのだが、それでも意欲だけはあって。
全国の路面電車を撮り歩いていた時期。このときは、梅小路周辺でのイベントで、いわゆる、N電の保存車が動態復元されたということで、それを撮りたくて京都まで往復したときの話題。1994年11月ということは確実なのだが、たぶん、日曜に訪れているはず。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
その当時、比較的、マジメにメモを付けていた。だから探せば詳細な日時も分かるはずだが、実家の自分の部屋の“発掘作業”を行わないとダメなのである。
ということで、わかったら、そのあたりは後ほど追記したい。
新宿の...、ヨドバシカメラの向かい側が高速バスの発着所だった頃。深夜の新宿から出発する関東バスの「きょうと」号、この頃は、枚方ゆきだっただろうか。京都駅八条口には朝5時台の到着、3列シートでよく眠れたが、確か、定刻より早着してしまって真っ暗な京都駅前で時間を潰すのに苦労した記憶。
…… ……
このときの<変態鉄>の興味の対象は路面電車オンリーとも言えそうな...
大都市部でも当たり前のように「国鉄型」が走っていたが、そんなのには何の興味も示さず。まぁ、といっても、夕方、夜行バスを待つまでの“暇つぶし”に結構、撮っているのだが。
朝は、駅から近くて一番早くに開門されるから...という極めて不純なキッカケで東本願寺を参拝したっけ!?
朝のうちは三条通を走っていた京阪京津線を撮っていたのだが、順光も逆光も何も考えずに撮っていた写真は、到底、お見せできるものではなくて。
さすがの<変態鉄>でも貼れない位の酷いカットばかり。もうちょっと考えて撮っておけば良かった。
ということで...
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
山陰(嵯峨野)線はイベントに合わせて電車が増発されており。
「全国緑化フェア」の会場は梅小路公園だった。満員の電車...とはいっても乗車時間はあっという間。
板張りの仮設ホームは、ちょうど京都駅の西側、山陰本線が北へと進路を変えるあたりにあっただろうか。
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
当時、221系は東海道・山陽本線の新快速を中心にした運用だった気がする。まさにJR西日本のエース格の電車だった。
“お下がり”が中心だった山陰本線に入ることは珍しかった気がする。
このイベントに合わせたヘッドマークを掲出しており。右側に見えるのは東海道本線、こう見ると臨時駅の様子と位置が分かるカットを残していたもの。
【1994年11月】 山陰本線・緑化フェア梅小路(臨時駅)
113系も当たり前のように走っていた。西日本は国鉄時代の車両配置の方針で関東地方から捻出された経年の深い車両が中心のラインナップだった。
この頃は、ヘッドライトが大目玉で屋根上にグローブ型ベンチレータを付けたタイプが多かったような気がする。狭い4人ボックスシートは、当時、どう考えても“ハズレ”だった。当時、あまり注目することも無かった113系も頻繁にやって来ていて。
そんな様子をスナップしているのも自分には非常に珍しいケースで。
梅小路公園の会場は、当時の蒸気機関車館に隣接しており。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
でも...
肝心の蒸気機関車の写真は“超”が付くほどテキトーな撮り方で。見学者が多くてスッキリしたカットは難しい状況だったのは確かだが、ちょっと、到底、貼ることができない位。マシだったC62 1号機のカットを。
いまでは立派な博物館に姿を変えており。ちなみに、<変態鉄>としては、今でも鉄道博物館よりも隣の梅小路公園に設置されている京都市電の方が気になって...、まだ入館したことがない。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
ただ、やはり、<鉄>の血が騒ぐ部分もあったのだろうか!?
唯一、蒸気機関車をちゃんと撮っていたのは、当時の「スチーム」号。先頭に立つのは8230号機である。
そして、お目当ての梅小路公園は...
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路公園(「緑化フェア」会場)
「駅」が復元された発着所から直線コースの線路を往復しているのに乗車して。明治時代風の制服を来た運転士さんがオープンデッキの運転台に立って。
そして、ちょっと見学したのだった。
確か、後にバッテリートラムに改造されてしまった...のだっただろうか。
原型に近い個体は愛知県の明治村に残っているわけだが...、<鉄>としては本来の姿のままで残しておいて欲しかったと思っている次第。
肝心の「緑化フェア」も見学したはずだが、何の記憶も残っていないという<変態鉄>だった。
さて、夕方、京都駅に戻って。深夜に八条口を発つ「きょうと」号で新宿に戻って、翌朝、フツーに高校に行く...という今の自分からは想像を絶するぐらいの強行軍だった。今なら伊丹からのヒコーキにするだろうが...
【1994年11月】 山陰本線・京都駅
京都駅で時間を潰すためにアレコレ撮っていた。
ちょうど山陰(嵯峨野)線ホームは改装工事真っ只中だった。
ホームで発車を待っていたのは山陰本線特急「あさしお」号、当時は狙って...というよりは、停まっていたから撮ったというだけ。
キハ181系に魅せられるのは、この数年後、大学生になってからだった。思えば、「あさしお」号で京都から餘部鉄橋を通って米子まで乗り通してみたかった。
でも、当時は「あさしお」と聞いても大関 朝潮くらいしか思いつかなかった<変態ガキ鉄>である。
なぜか、この編成。両側でヘッドマークが異なっており。
薄暗い駅舎側は文字だけのマークだった。思いっきりストロボを焚いて撮っている。まぁ、若気の至り...ということでお許しいただきたい。
【1994年11月】 山陰本線・京都駅
そして、下り方先頭部には絵入りのマークが。
程なく、山陰本線の京都口の特急も183系電車に置換えられて。結局、キハ181系「あさしお」号を見たのも撮ったのもこのときが最初で最後だった。
なぜか撮っていた...のは、駅の一番南側に位置していた奈良線ホームの117系。
【1994年11月】 奈良線・京都駅
当時、奈良線の主力は103系だっただろうか。117系運用が珍しかったから撮ったのか、いや、たぶん、何も考えずにカメラを向けただけだったのだろうが、クリーム色に茶色い帯の117系、既に東海道・山陽本線では見る機会が少なかったが、好きな車両だった。
ということで、断片的な記憶を頼りに1994年11月の京都の模様をご紹介した。あぁ、仕事...
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