年の瀬の広島と倉敷へ(12)もう1両のリバイバルKOBE...1156号 [ひろでん(広島電鉄)]
今日の話題に入る前に。
おかげさまで、この記事をもって“Part 2”のブログ記事も800個目に至りました。数日前に管理画面トップの記事数を見て気づいた次第。
せっかく、広島電鉄の話題を書いているので、800形の写真でスタートしても良いけれど...
【2021年12月13日15時11分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
やはり、リバイバルKOBE、一番撮りたかったのは、緑色濃淡の神戸市電色の残っている大型車、582号車だったが、神戸市電から譲渡された電車は、いま広島に2両が残っている。
もう1両が、この1156号車。もちろん、最初は緑色の神戸市電色だった訳だが、姉妹都市のハノーバーを走っていた動物をデザインした電車を模して、長らく“アニマル電車”として走っている。
582号車の西広島(己斐)からの折返しを待つ間、ぬぁんと、1156号車がやって来てくれたのだった。これは、想定外の思わぬ“収穫”で。
…… ……
神戸市電は昭和以降、窓が大きく、車体形状にも曲線を活かしたカッコイイ車両が多く生まれ。それが濃緑色系のシックの落ち着いた塗装で...
【1994年2月7日】 広島電鉄本線・原爆ドーム前電停
そういうスタイリッシュな神戸市電...としては、1100形と1150形の2形式が広島に譲渡され。
基本的に車体は同じで(もちろん、多少は違う)。1150形は、いわゆるPCCカー、ちょうど昭和初期にあたる時期に日本より早くモータリゼーションの波にさらされたアメリカの路面電車、巻き返しを狙っての近代化のため、新技術を導入した電車たちが導入された。
その技術を取り入れた新機軸の車両が戦後、日本の路面電車にも導入され。海外技術を導入して製造された“正真正銘のPCCカー”は東京都電の5501号車くらい...だったみたいだが、“和製PCCカー”と呼ばれた電車は大都市では...
ただ、直接制御、もちろん吊り掛け駆動の電車に慣れていた現場、高価な新技術を導入したものの、運用できる区間に制限があったり、運転士からも工場の整備担当者からも「他車と全く異なる取扱」は嫌われたり、そんなことで、少なからずが早々に“車庫の肥やし”となってしまった...という。
神戸の1150形もその1つで。数両で新製は中止され、(当時の)在来の技術の標準的な性能だった、1100形が増備され、1150形も後に1100形とほぼ同じ仕様に改造されていたという。
つまり、広島に移籍してきた時点では、1100形とそれほど違いは無く。収容力が小さい上に、ドア幅が狭く乗降に手間取ること、パワーが不足することなどから、この系列は廃車対象となり。
幸い、高校生の頃、広島を訪れて当時は神戸市電色で活躍していた同型車を撮っていたのは先日の記事でも触れたとおり。今日は別カットを。
正式には発表されていないが、たぶん、他都市から譲渡された電車は1両ずつは残す...というのが広島電鉄の方針のようで...。
1100,1150形からは「ハノーバー電車」(実は2代目)になっている1156号車が残されている。
【1991年8月13日】 広島電鉄宇品線・宇品電停(当時)
古いネガを探してみたら、1991年8月に家族で広島を訪れた際に1150形電車を撮っていた。しかも、取り込んだ画像を確認してビックリ。それが1156号車だったのである。
当時はこういう譲渡車も、広告塗装の対象になっていた。青系の(たぶん)大手菓子メーカーの広告塗装だったような...
まだ、開放的な雰囲気だった頃の旧宇品終点である。全然、記憶も記録も残っていないのだが、たぶん、このとき広島駅まで乗車したのは1156号車だったと思われる。
【1991年8月13日】 広島電鉄本線・広島駅電停
続くコマでは広島駅で同車を撮っている。
いまのところ、広島駅電停の場所は31年前と変わっていないが、当時はもう少しホームの数が多かったのだろうか??
丸い系統板を掲出し、運転士さんがサングラスを付けているのも何だか懐かしい風景。背後にバス乗り場が見えるのは、いまの5号線(比治山線)ホームも変わらないが、まだ、JR広島駅は橋上化されておらず、駅前の雰囲気はかなり違っていたように覚えている。
せっかくなので、ついでに...
【1991年8月13日】 広島電鉄本線・広島駅電停
同じ朝、撮った505号車である。この車両は広島電鉄生え抜きの車両だが、すでに過去帳入りしていたかと。写真としてはダメダメだが、31年経つとそういう写真も貴重な記録になった...かと。
31年前の1156号車を撮っていただけではない。
【1994年2月7日】 広島電鉄宇品線・宇品電停(当時)
“初代ハノーバー電車”の1105号車は3年後、高校生になってから一人で訪問した際に、これまた、旧宇品終点で撮っていた。
この1105号車の廃車に伴い、1156号車がこの塗装を受け継いだわけで...
…… ……
2021年12月13日(月)曇り
自分としては、神戸市電色の582号車がそろそろ戻ってくる頃か...と思いながら待っていた。とりあえず、カメラを構えては居たのだが...
【2021年12月13日15時06分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
でも、夕ラッシュに備えてか、連接車が多く出庫する時間帯になってきたようで、旧型車も含めて“単車”と呼ばれるグループはそれほど来ないのである。
そんな中でもコンスタントにやってくるのは、京都市電の1900形。
そこへ、向こうからやって来た1両、驚きを禁じ得なかった。
【2021年12月13日15時08分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
午前中に千田車庫で休んでいる姿を確認していた1156号車である。やはり、シャッターを押す指にも力がはいるもので...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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せっかく、広島電鉄の話題を書いているので、800形の写真でスタートしても良いけれど...
【2021年12月13日15時11分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
やはり、リバイバルKOBE、一番撮りたかったのは、緑色濃淡の神戸市電色の残っている大型車、582号車だったが、神戸市電から譲渡された電車は、いま広島に2両が残っている。
もう1両が、この1156号車。もちろん、最初は緑色の神戸市電色だった訳だが、姉妹都市のハノーバーを走っていた動物をデザインした電車を模して、長らく“アニマル電車”として走っている。
582号車の西広島(己斐)からの折返しを待つ間、ぬぁんと、1156号車がやって来てくれたのだった。これは、想定外の思わぬ“収穫”で。
…… ……
神戸市電は昭和以降、窓が大きく、車体形状にも曲線を活かしたカッコイイ車両が多く生まれ。それが濃緑色系のシックの落ち着いた塗装で...
【1994年2月7日】 広島電鉄本線・原爆ドーム前電停
そういうスタイリッシュな神戸市電...としては、1100形と1150形の2形式が広島に譲渡され。
基本的に車体は同じで(もちろん、多少は違う)。1150形は、いわゆるPCCカー、ちょうど昭和初期にあたる時期に日本より早くモータリゼーションの波にさらされたアメリカの路面電車、巻き返しを狙っての近代化のため、新技術を導入した電車たちが導入された。
その技術を取り入れた新機軸の車両が戦後、日本の路面電車にも導入され。海外技術を導入して製造された“正真正銘のPCCカー”は東京都電の5501号車くらい...だったみたいだが、“和製PCCカー”と呼ばれた電車は大都市では...
ただ、直接制御、もちろん吊り掛け駆動の電車に慣れていた現場、高価な新技術を導入したものの、運用できる区間に制限があったり、運転士からも工場の整備担当者からも「他車と全く異なる取扱」は嫌われたり、そんなことで、少なからずが早々に“車庫の肥やし”となってしまった...という。
神戸の1150形もその1つで。数両で新製は中止され、(当時の)在来の技術の標準的な性能だった、1100形が増備され、1150形も後に1100形とほぼ同じ仕様に改造されていたという。
つまり、広島に移籍してきた時点では、1100形とそれほど違いは無く。収容力が小さい上に、ドア幅が狭く乗降に手間取ること、パワーが不足することなどから、この系列は廃車対象となり。
幸い、高校生の頃、広島を訪れて当時は神戸市電色で活躍していた同型車を撮っていたのは先日の記事でも触れたとおり。今日は別カットを。
正式には発表されていないが、たぶん、他都市から譲渡された電車は1両ずつは残す...というのが広島電鉄の方針のようで...。
1100,1150形からは「ハノーバー電車」(実は2代目)になっている1156号車が残されている。
【1991年8月13日】 広島電鉄宇品線・宇品電停(当時)
古いネガを探してみたら、1991年8月に家族で広島を訪れた際に1150形電車を撮っていた。しかも、取り込んだ画像を確認してビックリ。それが1156号車だったのである。
当時はこういう譲渡車も、広告塗装の対象になっていた。青系の(たぶん)大手菓子メーカーの広告塗装だったような...
まだ、開放的な雰囲気だった頃の旧宇品終点である。全然、記憶も記録も残っていないのだが、たぶん、このとき広島駅まで乗車したのは1156号車だったと思われる。
【1991年8月13日】 広島電鉄本線・広島駅電停
続くコマでは広島駅で同車を撮っている。
いまのところ、広島駅電停の場所は31年前と変わっていないが、当時はもう少しホームの数が多かったのだろうか??
丸い系統板を掲出し、運転士さんがサングラスを付けているのも何だか懐かしい風景。背後にバス乗り場が見えるのは、いまの5号線(比治山線)ホームも変わらないが、まだ、JR広島駅は橋上化されておらず、駅前の雰囲気はかなり違っていたように覚えている。
せっかくなので、ついでに...
【1991年8月13日】 広島電鉄本線・広島駅電停
同じ朝、撮った505号車である。この車両は広島電鉄生え抜きの車両だが、すでに過去帳入りしていたかと。写真としてはダメダメだが、31年経つとそういう写真も貴重な記録になった...かと。
31年前の1156号車を撮っていただけではない。
【1994年2月7日】 広島電鉄宇品線・宇品電停(当時)
“初代ハノーバー電車”の1105号車は3年後、高校生になってから一人で訪問した際に、これまた、旧宇品終点で撮っていた。
この1105号車の廃車に伴い、1156号車がこの塗装を受け継いだわけで...
…… ……
2021年12月13日(月)曇り
自分としては、神戸市電色の582号車がそろそろ戻ってくる頃か...と思いながら待っていた。とりあえず、カメラを構えては居たのだが...
【2021年12月13日15時06分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
でも、夕ラッシュに備えてか、連接車が多く出庫する時間帯になってきたようで、旧型車も含めて“単車”と呼ばれるグループはそれほど来ないのである。
そんな中でもコンスタントにやってくるのは、京都市電の1900形。
そこへ、向こうからやって来た1両、驚きを禁じ得なかった。
【2021年12月13日15時08分】 広島電鉄宇品線・市役所前-鷹野橋
午前中に千田車庫で休んでいる姿を確認していた1156号車である。やはり、シャッターを押す指にも力がはいるもので...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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