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年の瀬の広島と倉敷へ(8)宇品二丁目 <前編> [ひろでん(広島電鉄)]

自分が初めて、Canon の一眼カメラ“EOSシリーズ”を手にしたのは1990年。経緯あって、いただいたまま自宅で誰も使うこと無く放置されていた、EOS 750QDという機種と、それについていた35-70 mmという標準ズーム。
以来、30年以上にわたって。その間にいろいろ撮った訳だが、撮影記録をロクに付けない怠惰で飽き性な性格、撮ったことは覚えていても、どこでどう撮ったのか、全く記憶に無いケースも少なくなく。

高校1年生だった1993年から94年にかけて全国20数カ所に走っていた路面電車を1年かけて全て回る...と、今考えると高校生としてちょっと無謀なことをしたのだが、その最後を飾ったのが2月の広島と四国2都市。

今回、お目当ての582号車が3号線(広島港(宇品)-広電本社前-紙屋町西-西広島(己斐))に入っていた。でも、生憎、宇品線内の撮影地というのはほとんど知らず。
その90年台の訪問時、宇品終点はフェリー乗り場(??)に隣接した露天のホームで、広々した感じで車両写真を撮るにはうってつけだった。その記憶で、数年前に終点近くで撮ろうとしたら、移転して全然違った雰囲気の“ターミナル駅”になっていて。
市内中心部とは違った雰囲気の中で撮りたくて、でも、582号車を追っている最中、ロケハンするだけの余裕もなくて。後続電車で追いかけつつ、宇品線内のテキトーなところで撮ろうと...

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【2021年12月13日13時52分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

車窓を眺めながら、「撮れそうな地点」があったら降りようと。クルマの通行量もそこまで多くなくて、道幅も狭くて、沿道の建物も住宅や地元向けの商店など...何だかイメージした風景になってきたと思って降車ボタンを押したのは「宇品二丁目」だった。

このブログを書くのに写真を整理していて、まさかの“大発見”だった。それは、この写真に写る1900形電車...ではない。写真の右端に写り込んだ...
……  ……

古いスクラップブックのページを捲ってみれば、90年台、各地の路面電車を巡ったときにもらったパンフレット類や乗車券類がいろいろと。その中に、広島電鉄の電車1日乗車券も。厚紙でできた3つ折り、名刺サイズより一回り大きなサイズのものである。

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年月日をコインで削り取って使うタイプなのは今も変わっていないが、当時、表紙は原爆ドーム前付近で本安川を渡る3800形連接車...だろうか。この俯瞰撮影地、多分、許可を得て近くのビルから撮っているのだろうが、どこなのか気になってしまうのは<撮り鉄>の“性(さが)”。
「6」年「2」月「7」日、つまり、1994年2月7日に撮りに訪れたときのものである。

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ちなみに、当時の1日乗車券、路線図と電車を使った市内観光のモデルケースが紹介されており、裏面は電車の写真。そのタイトルは「動く交通博物館」。
いまでは見かけたら「運が良い」という感じの600形(西鉄)、750形、900形(大阪)なども珍しい存在では無かった。

この写真の電車では、試作的性格が強かった3500形(軽快電車)、それから、70形(ドルトムント電車)は当時から見かけることが少なかったか。この2形式と最下段の1100形が過去帳入りしているだろうか。

神戸市電の電車は570形の他、1100形、1150形と3形式。スリムな車体が収容力の少なさに...1100、1150形は動く機会が少ないと言われていたが、それでも日中も走っている姿を見かけたのだった。

母の思い出話にたびたび出てきた「神戸市電」、やはり、気になるもので、このときも神戸市電色の電車を探していた。

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【1994年2月7日】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

このときも、最初に乗った電車が、3号線運用に入っていた神戸市電色の1151号車に続行する形になって。運用されていることが分かったので、宇品線内で待ち構えて撮った...と、それは覚えていた。
でも、宇品線内のどこだったのか、まったく記憶に無かったのである。

それが、28年ぶりに...

この写真も、緑色濃淡「神戸市電色」の1151号車、その右側、写真の右隅に注目して頂きたい。

……  ……

2021年12月13日(月)曇り

582号車を本川町の歩道橋で撮ったら、すぐに階段を下りて道路中央のホームへ。後続電車で追尾開始、もちろん、追い付くわけは無く、広島港(宇品)からの折返しを狙うわけだが...

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【2021年12月13日13時50分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

宇品線内で撮っておきたかった。ということで、降り立ったのは宇品二丁目電停。

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【2021年12月13日13時50分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

ちょうど、やって来たのは5100形“MAX”である。90年台には、宮島線直通(当時は「2号線」とは言っていなかった。あくまで「直通」)が3車体連接車、それ以外は、単車での運転で、朝ラッシュのピーク時だけ、比治山線などに3車体連接車の運用があった...と記憶している。
紙屋町とか八丁堀とか、市内中心部の広い道路を5車体連接車が続行して走るのも迫力があるが、住宅街の狭い道路上で見ると、これまた迫力があって。

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【2021年12月13日13時51分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停付近

続いて、やって来たのは1902号車「桃山」。京都は戦禍を免れた都市だったから市内中心部は細い道が多く残っていて、それが道路混雑を引き起こし、電車廃止の原因にもなったとされる。
逆に広島が中心部でも電車が走れるだけの一直線で広い道路ができて、いまでも路面電車が市内交通の主役として活躍できる...、それも先の戦争中の悲惨なことに関係するというのは、考えてみれば何だか皮肉なものである。

ただ、趣味的観点で言えば、もと京都市電の1900形を撮るなら、こういう細い街路を走る姿の方が「らしく撮る」ということになるのだろうか。

その1902号車「桃山」が宇品二丁目電停に到着すると反対からやって来たのは...

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【2021年12月13日13時51分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

1906号「西陣」である。15両が健在の1900形、日中のすれ違いシーンも多くて。

でも、それだけでは終わらない。

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【2021年12月13日13時52分】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

1902号「桃山」の後を追ってきたのは、5号線の広島港(宇品)ゆき、こちらは1905号車「比叡」である。
同時に1900形が3両。写真だと、なかなか伝わらないが、これほどの路線網で、在籍車両数も多い。そんな中で日中、これだけ同一形式が続いてくる...というのは、なかなか撮れるものでは無いはずで。

そんなシーンが撮れて...。

……  ……

さて、冒頭の1994年の写真の件。

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この宇品二丁目で撮った写真、右隅に写り込んでいたのは1枚の案内標識。
「広島市郷土資料館 400 m」、この看板、1994年2月の1151号車の写真にも右隅に同じものが見えている...ということに気づいたのだった。矢印の向きが逆になっているのは、表裏ということだろうか。
シンプルな文字だけの案内看板、いま、2022年の感覚ではちょっと古い感じである。たぶん、同じ看板だと推定される...ということ。

郷土資料館は宇品二丁目電停が最寄りとのことで、電車通りから西へ入ったところに

その推定が当たっていれば、撮影地点自体は二丁目電停よりも、もうちょっと南側だろうか、それでも、28年ぶりにほぼ同じ地点で同じ色の電車を撮っていたことのだった。

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【1994年2月7日】 広島電鉄宇品線・宇品二丁目電停

そう、1907号「銀閣」も。それにしても、建物の影に入るところで撮っていて...う~ん。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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