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2021/10 倉敷へ、鳥取へ(34)若桜駅 ~ その4 ~ [保存車・博物館・廃線跡]

ちょっと迷っている。何が??
早朝までに上がって、明日の日中の千葉県は雨は降らないらしい。小湊キハのヘッドマークの掲出は今月末までの予定。

でも、仕事がバタバタしている日々が続いたので、とにかく眠いのである。明大前駅で乗り換えて新宿までの京王線でも爆睡してしまう有り様。そこまで睡眠時間を削っている訳では無いのだが...
明日、小湊キハを撮りに五井を訪れるべきか、家でゴロゴロしながら過ごすべきか...、非常に悩んでいる。行ったとしたら、「新撮影地の開拓」をテーマにしたいと思っている。

ということで、迷いながらも、ブログは今日も昨年10月の若桜駅の話題。

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【2021年10月22日14時45分】 若桜鉄道・若桜駅

15時過ぎの列車を待つ間、昼食をとりに。その間に、雨は上がってくれて。

ということで、15時を前に駅構内のSLを...

……  ……

2021年10月22日(金)晴れのち雨

機関庫というより、駐泊所といった感じ。給水塔にターンテーブル、それらは別に再現されたセットではない。蒸気機関車が現役だった時代からこの地にあったものだと。

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【2021年10月22日13時42分】 若桜鉄道・若桜駅

もう20年近く前、ここに“戻ってきた”のが、C12 167号機。
以前は兵庫県加古川市内で保存されていたとか。

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【2021年10月22日13時42分】 若桜鉄道・若桜駅

そんなC12 167号機は、側面に銘板が輝いているとおり、戦時色が濃くなりつつあった1938年(昭和13年)に日本車輌(名古屋)で製造された。
新製配置は米子管内だったみたい。終戦の時には鳥取機関区配置だったとされる。この当時、若桜線にも入線していたのだとか。

ただ、終戦後間もなく、1946年(昭和21年)秋には加古川に転属している。もしかして、北条線を走ることもあったのだろうか??
この機関車にとって、一番長く過ごしたのは加古川だったようで。そう、だから廃車後に加美町内で保存されたのも納得というところか。

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【2021年10月22日13時42分】 若桜鉄道・若桜駅

その後は“流転”の時代が始まる。

蒸気機関車末期の頃。1972年(昭和47年)春に奈良に転属すると、翌年には初の九州、吉松機関区へ転属。山岳区間を多く受け持っていた機関区だが...
この小さい機関車に、どういった運用があったのだろうか。あるいは構内入換などの用途だったのか...
でも、その吉松も安住の地にはならず、わずか3ヶ月ほどで南延岡に転属する。もう、この頃には蒸気機関車は各地で淘汰が進められていた時期、狙いがあって...というよりは、検査周期の残っている個体をどんどん転属させて賄っていた...ということだろうか。
南延岡では1ヶ月ほどの活躍で休車、1974年6月に廃車になっている。

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【2021年10月22日14時43分】 若桜鉄道・若桜駅

廃車後、この年の晩秋に兵庫県加美市内に運ばれて保存される。約30年を経て動態復元を目指して若桜へと運び込まれ、ここで圧縮空気の動力で構内運転が行える状態まで復元された。

この機関車、実は一度、SL復活による効果を計る...という社会実験のような感じで「本線運転」が行われたという。自分はそれをTVのニュースで見た記憶はあって。
その頃から朧気に、若桜駅を再訪しないと...と思っていたまま。時にこのSLはピンク色に塗り替えられていたり...、話には聞きながらも鳥取に行く機会というのは、なかなか無かったのである。そういう意味では「鉄印帳」が自分の背中を押してくれた面はあった訳で。

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【2021年10月22日14時43分】 若桜鉄道・若桜駅

その隣に、並ぶように保存されているのがDD16 7号機。

製造は1971年(昭和46年)、こちらも日本車輌で。ちょうどC12と入れ替わりのような感じ。それは時期的なものだけではなくて役割も。

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【2009年5月3日10時54分】 飯山線・信濃平-戸狩野沢温泉

戦時買収で国鉄になった区間や軽便鉄道に端を発する路線など「簡易線」と呼ばれる路線には、軸重の大きな機関車は入ることができず。C12もそうだったように、DD16もそういう路線用の機関車として製造された。つまり、C12が活躍するような線区の“無煙化”を推進したのがDD16と言っても良いかも。

<変態鉄>としては、長野県の飯山線の印象が強い機関車である。イベント列車で旧型客車編成の先頭に立つ姿を13年前に撮っていた。
このDD16 7号機も飯山線で活躍した時代もあったが、東京都国分寺市の鉄道技術研究所で活用されたのち、2012年に若桜へやって来た。

そのあと、昨日の記事でご紹介した12系客車とC12を牽引する形で若桜鉄道を走行したという。車籍のないC12を“運転”するにあたっては線路閉鎖の手続きがとられたという。

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【2021年10月22日14時43分】 若桜鉄道・若桜駅

一見すると、水島臨海鉄道でも見かけるDE10形に似ているようにも...、でも、このボンネットの短さ。この独特のフォルムである。

……  ……

もちろん、ここで撮るべきものは機関車だけではない。このロケーションである。

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【2021年10月22日14時46分】 若桜鉄道・若桜駅

ターンテーブル越しに見たC12、こんな情景が令和の時代に...

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【2021年10月22日14時44分】 若桜鉄道・若桜駅

車両だけではなく、こういう鉄道情景こそ残って欲しいと思っている<変態鉄>なのである。

でも、この蒸気機関車時代からの駅風景は、何も「保存」されているだけではなく。この構内は、まさに“いまなお現役”。

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【2021年10月22日14時52分】 若桜鉄道・若桜駅

機関車たちのすぐヨコには、現役のディーゼル動車が留置されており。
まさに、この駅は生きているのである。さぁ、いつまでも撮っていたと思いながらも、鳥取ゆきの列車、その時刻が近づいてきた。(つづく)

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