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「みまさかスローライフ列車」2010年春(1)津山にて [<鉄>な撮影記・旅行記録]

岡山県北部の城下町が津山、吉井川沿いの盆地の街である。その津山から北に向かえば鳥取県境へと続く山沿いの...
そこを通るローカル線が因美線。かつては陰陽連絡、岡山-鳥取間のメインルートとして急行列車が運転されていたが、90年代に高規格の智頭急行が開業して以降は...
1日の運転本数が指折り数えられるくらい、1日に数回、キハ単行のワンマン列車が行くだけの閑散路線になった。

その活性化を目指して設定されるようになったのが「みまさかスローライフ列車」。
農作業が落ち着いた、春(5月)と秋(11月)の週末に運転される臨時列車である。
普通列車として設定されるのだが、途中の各駅には地元の農家の皆さんが。駅前にテントを出して、そこで地元産品の即売やら、伝統芸能での歓迎イベントやら、あるいは温かいお茶やコーヒーを用意してくれて...。
途中駅で数十分の停車時間が設定され、そうした地元の皆さんと触れ合いながらの旅を楽しむ列車である。

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【2010年5月9日11時17分】 JR西日本・津山鉄道部

最近はコロナの影響で運休になったこともあるが、現在もキハ47形で設定されており。
でも、その“初代”みまスロの車両はキハ58系急行型ディーゼル動車。2007年の初回運転はJR四国から借り入れて。2回目からは、ぬぁんと...
隣の広島支社で芸備線急行廃止に伴い余剰になったキハ58・28を岡山に転属の上...

富山にも“飛越ゴハチ”、富山市の増発社会実験関連でキハ58系の定期運用が残っていた。でも、富山車は長らくローカル運用に使われ、ワンマン化と車内の一部座席のロングシート化改造が施されており。
それに対して、岡山車は直前まで広島で芸備線の急行列車に使われており。急行型本来の形で残る、この当時、すでに希少な存在だった。
遠距離で駆けつける観光客にも対応するためだろうか、往路が津山駅を12時発というダイヤ設定、自分もキハ58系での最終運行となった、2010年秋の運転まで“皆勤賞”で通い詰めたのだった。

2010年春の運行、何度も通ううちにいろいろな撮影地もわかってきて...

……  ……

2010年5月9日(日)晴れ

羽田を朝7時半のヒコーキで9時前に岡山空港。リムジンバスで岡山駅に出て津山線に乗り換え...が、一番、フツーの経路だが、現在の岡山空港は住所こそ「岡山市北区」だが、駅から車で30分くらいの山間にあって。実はタクシーで津山線の金川駅に出た方が早いのである。
毎時1本程度の運転本数の津山線、リムジンバスが遅れて乗り遅れると非常に痛い。そのリスクを避けるためなら、3,000円程度のタクシー料金は、そう大きな負担には感じなかった。

金川駅からキハに乗り込めば、車内には大きなカメラバッグを持った<鉄>の姿も多く...
確か、キハ40形単行だったと思うのだが、当時は、メインとなる被写体に出会うまでカメラを取り出すこともなく。

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【2010年5月9日10時48分】 JR西日本・津山鉄道部

この“みまスロ”のときは、予約も何もなくても津山鉄道部の構内に入って自由に写真を撮らせてくれていた。
現在の「津山まなびの鉄道館」として公開されてはおらず、確か、指定の土日にだけ事前予約で見学できるシステムだった。その分、展示施設としてではなく、まさに現役の機関庫、鉄道の現業機関そのものを間近で見学できるのも魅力だった。一度、予約して行ったことがあったが...
“みまスロ”の日だけは、誰でも自由に構内に入って...

3年間での変化は、キハの留置線を取り囲むようにフェンスが設置されたことだろうか。
純然たる「車両基地」から「展示施設」へと変化していく様子を、訪問の度に感じていたのだった。

その一番、手前の線路に、決まってキハ58・28編成。その姿を撮って...

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【2010年5月9日10時53分】 JR西日本・津山鉄道部

この津山、因美線のほか、津山線、姫新線と東西南北に線路がのびており、蒸気機関車の時代から鉄道の要衝だった。だから大規模な機関区が置かれたのも当然の流れであって、転車台(ターンテーブル)を取り囲むように扇形機関庫。
1両単位で運用されるキハ、運用の都合で車両の向きを変えるのに転車台を使用し、扇形庫は車両の整備の一部を庫内で行う関係で“現役”だった。

でも、空いている線にはJR西日本各地から集められたディーゼルたち。
自分より上の世代の<鉄>の皆さんには、「蒸気機関車を追いやった憎い存在」であり、ローカル線が活躍の中心だから、あまり華々しい存在でもなく...
鉄道車両の中でも保存例が少ないのがディーゼル車...だと思う。そんなディーゼルにスポットをあててJR西日本を走った様々なディーゼル動車とディーゼル機関車を集めて、「ディーゼルの殿堂」になりつつあった当時の津山である。

隣の米子支社で廃車になったキハ33形と糸魚川でその活躍に終止符を打ったキハ52形。それと、DD51ディーゼル機関車である。

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【2010年5月9日10時52分】 JR西日本・津山鉄道部

キハ33形を保存対象に選んだのは、ちょっと驚き。自分は境線で一度だけ乗ったことがあって。50系客車が余剰になったからエンジンをつけてキハにした...という珍車である。
ゴハチニハチをはじめ、国鉄型キハで溢れていた、90年代の米子管内において、自分にとってはハッキリ言って“ハズレ”だと思っていたが、それでも貴重な車両が残ってくれて...。

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【2010年5月9日10時55分】 JR西日本・津山鉄道部

当時は扇形庫内も自由に入ることができていた。キハ52 115号車側面をヘンな撮り方で。

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【2010年5月9日11時00分】 JR西日本・津山鉄道部

そして、「悲運の機関車」DE50型である。2基エンジン車のDD51型に変わって、大型エンジン1基を積んだ亜幹線用のディーゼル機関車として登場した。
この1号機が試作されたが、結局、量産化されることなく1両だけの存在だった。もちろん、自分は現役時代を知る由もなく。
廃車後、長らく岡山で非公開で保管されていたが、ここに安住の地を得たみたいで。

さぁ、一通り庫内の展示車を見学したら...

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【2010年5月9日11時14分】 JR西日本・津山鉄道部

いよいよ。

「みまさかスローライフ列車」が始動である。3基のDMH17Hエンジンが...
白い爆煙。その瞬間、夢中でシャッターを切り続けたのだった。

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【2010年5月9日11時18分】 JR西日本・津山鉄道部

さぁ、キハの出庫準備も整ってきているようで。そろそろ、津山駅に戻って。
先行する11時半の智頭ゆきで撮影地に先行しないと...。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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