あの暑い夏の朝。2004年8月の南小谷駅。 [アナログ写真保存庫]
実は今週、<変態鉄>は1週間マルマル夏休みなのである。とはいえ、自宅でゴロゴロしたり...ボーーっとしながら過ごしてしまって。気づけば夜になっているのである。
明後日あたり、ちょっと出かけようかと画策中。あのキハの姿を...
普段なら1週間の休みとあれば、長期の“出撃”を考えるところだが、さすがに今年は...
つまり、8月1日の「ことでんレトロ」撮影記が終わったところで、ネタ切れなのである。
ということで、17年前の8月の話を。滅多に<撮り鉄>をしなかったこの時期、<変態鉄>には珍しく、カメラバッグを持って向かったのは北陸本線だった。
その話題は、また改めてご紹介するとして...
【2007年9月30日14時23分】 大糸線・頸城大野-姫川
往路は新宿駅からの「ムーンライト信州81号」。
「あずさ」「かいじ」から退いた後も幕張に転じて、ライナー列車などの運用を受け持っていた183・189系のサロ組み込み11両編成だった。
眠い目を擦りながら、E127系のローカル電車に乗り換えて、たどり着いたのは南小谷駅。
ここからは、キハ52形単行の糸魚川ゆき。接続はそう悪くなくて。進入してくるキハ52形の姿を撮ろうと、ホーム端に立ったのだが...
…… ……
183・189系11連の「ムーンライト信州81号」は、全区間、松本の車掌さんの受け持ちだった。サロの車掌室に乗務しているので、
新宿駅のホームを離れる頃に“ちょっとだけストレンジャー”、白馬駅到着前には“信濃の国”のチャイムが流れての車内放送。<車内放送マニア>としては、これが堪らなくて、183・189系幕張車時代のこの列車には何度も乗ったのである。
登山客を多く乗せた夜行列車、未明にかけての中央線の各駅にも停車して、そこで大きな荷物を背負って下りていく人も多かった。松本駅では新島々ゆきが接続していたような...
【2004年8月】 中央本線・新宿駅
そんな列車を白馬駅まで乗り通して。白馬駅の駅舎横にある、いかにも「駅前食堂」といった感じのお店が朝5時過ぎでも開いていて、そこで熱いソバを食べてから大糸線ローカルに乗り換えて、南小谷駅へと向かうのが<変態鉄>のルーティンのようになっていた。
2連で乗客数名程度の大糸線のローカル電車で南小谷駅。長野県の北端に近いところの駅で、ここまでが電化、ここから新潟県に入って糸魚川駅までは非電化で、90年代初頭からキハ52形単行での運転になっていた。
そう、後に何度も通うことになる大糸線のキハ52形、そのキッカケになるのが、このときだった。
…… ……
当時、最小限まで列車本数は減少しており、糸魚川に常駐するキハ52形も3両まで減らされていた。115、125、156号車の3両である。
【2007年9月30日8時30分】 大糸線・根知駅
2004年以降、国鉄時代の塗色に順次、塗り替えられ、それと同時に日々の運転予定が糸魚川地域鉄道部のウェブサイトで公開されるようになり...
その表を見ながら、撮影予定を考えるようになった。
その3両すべてを繋いでのイベント運転も撮りに行った。これが事実上の、<変態鉄>にとって“デジカメ・デビュー”となった撮影である。激しい雨の降る中で、ずぶ濡れになりながらの撮影だった。
冒頭のカットで、中間に入っている紺色と黄褐色の旧色、キハ52形の後期バージョン(100番台車)が、この塗色で走ったことはないので、<鉄>からは一番、不人気の車両だったが、これが後に、いすみ鉄道に転じてくることになるとは、このとき、全く考えることもなく。
大人気だったのは115号車、朱色とクリーム色のツートンカラーである。
(<変態鉄>はタラコ色、首都圏色車が一番、好きだったのだが...)
当時は、朱色とクリームのツートンカラーのキハといえば、米子支社の予備車に残っていた同じキハ52形の128号車が有名だったが、この、しばらく前に引退していたはず。
だから白と緑の塗り分けの大糸線キハ52形だって貴重な被写体だったのである。
しかも、センスの良い塗り分けだったので...
南小谷駅のホーム端で、白地に緑色のキハを待っていたのだった。
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
南小谷駅の北側で線路は、姫川沿いの山の斜面に沿って緩やかにカーブしており、近づいてくる列車の姿は遠くから視認できる。
近づいてくるキハの色が何かヘンなのである。
当時は、SNSなど主流ではなく。最新の情報がリアルタイムで入ってくる訳ではなかった。
ファインダーの中でだんだん大きくなってくるキハが、どう見ても朱色ツートン。
「まさか、米子の128号車がやってきたのか??」
カメラを構えつつ、<変態鉄>のアタマには「?」マークが大量に並んで...
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
いや、まさか、だった。
もう、たまげるしかなかった。わずかな折返し時間。無我夢中で...
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
大糸線はワンマン運転。折返し準備の運転士さんに声をかけて、教えていただいたのは、少し前に塗装変更したとのこと。
そう、鉄道誌の記事でそのことを知るのは、もっと後だったのである。
…… ……
このとき撮った115号車、いまも津山の扇形庫で休んでいるのである。
【2016年6月12日11時37分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館
あの貨物も撮りたいし、岡山に出かけたくてウズウズしている。本当は...
状況がゆるせば、今週は倉敷に居たはずなのに...嗚呼。
出るのは溜息だけ。2021年もまもなく3分の2が終わろうとしている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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明後日あたり、ちょっと出かけようかと画策中。あのキハの姿を...
普段なら1週間の休みとあれば、長期の“出撃”を考えるところだが、さすがに今年は...
つまり、8月1日の「ことでんレトロ」撮影記が終わったところで、ネタ切れなのである。
ということで、17年前の8月の話を。滅多に<撮り鉄>をしなかったこの時期、<変態鉄>には珍しく、カメラバッグを持って向かったのは北陸本線だった。
その話題は、また改めてご紹介するとして...
【2007年9月30日14時23分】 大糸線・頸城大野-姫川
往路は新宿駅からの「ムーンライト信州81号」。
「あずさ」「かいじ」から退いた後も幕張に転じて、ライナー列車などの運用を受け持っていた183・189系のサロ組み込み11両編成だった。
眠い目を擦りながら、E127系のローカル電車に乗り換えて、たどり着いたのは南小谷駅。
ここからは、キハ52形単行の糸魚川ゆき。接続はそう悪くなくて。進入してくるキハ52形の姿を撮ろうと、ホーム端に立ったのだが...
…… ……
183・189系11連の「ムーンライト信州81号」は、全区間、松本の車掌さんの受け持ちだった。サロの車掌室に乗務しているので、
新宿駅のホームを離れる頃に“ちょっとだけストレンジャー”、白馬駅到着前には“信濃の国”のチャイムが流れての車内放送。<車内放送マニア>としては、これが堪らなくて、183・189系幕張車時代のこの列車には何度も乗ったのである。
登山客を多く乗せた夜行列車、未明にかけての中央線の各駅にも停車して、そこで大きな荷物を背負って下りていく人も多かった。松本駅では新島々ゆきが接続していたような...
【2004年8月】 中央本線・新宿駅
そんな列車を白馬駅まで乗り通して。白馬駅の駅舎横にある、いかにも「駅前食堂」といった感じのお店が朝5時過ぎでも開いていて、そこで熱いソバを食べてから大糸線ローカルに乗り換えて、南小谷駅へと向かうのが<変態鉄>のルーティンのようになっていた。
2連で乗客数名程度の大糸線のローカル電車で南小谷駅。長野県の北端に近いところの駅で、ここまでが電化、ここから新潟県に入って糸魚川駅までは非電化で、90年代初頭からキハ52形単行での運転になっていた。
そう、後に何度も通うことになる大糸線のキハ52形、そのキッカケになるのが、このときだった。
…… ……
当時、最小限まで列車本数は減少しており、糸魚川に常駐するキハ52形も3両まで減らされていた。115、125、156号車の3両である。
【2007年9月30日8時30分】 大糸線・根知駅
2004年以降、国鉄時代の塗色に順次、塗り替えられ、それと同時に日々の運転予定が糸魚川地域鉄道部のウェブサイトで公開されるようになり...
その表を見ながら、撮影予定を考えるようになった。
その3両すべてを繋いでのイベント運転も撮りに行った。これが事実上の、<変態鉄>にとって“デジカメ・デビュー”となった撮影である。激しい雨の降る中で、ずぶ濡れになりながらの撮影だった。
冒頭のカットで、中間に入っている紺色と黄褐色の旧色、キハ52形の後期バージョン(100番台車)が、この塗色で走ったことはないので、<鉄>からは一番、不人気の車両だったが、これが後に、いすみ鉄道に転じてくることになるとは、このとき、全く考えることもなく。
大人気だったのは115号車、朱色とクリーム色のツートンカラーである。
(<変態鉄>はタラコ色、首都圏色車が一番、好きだったのだが...)
当時は、朱色とクリームのツートンカラーのキハといえば、米子支社の予備車に残っていた同じキハ52形の128号車が有名だったが、この、しばらく前に引退していたはず。
だから白と緑の塗り分けの大糸線キハ52形だって貴重な被写体だったのである。
しかも、センスの良い塗り分けだったので...
南小谷駅のホーム端で、白地に緑色のキハを待っていたのだった。
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
南小谷駅の北側で線路は、姫川沿いの山の斜面に沿って緩やかにカーブしており、近づいてくる列車の姿は遠くから視認できる。
近づいてくるキハの色が何かヘンなのである。
当時は、SNSなど主流ではなく。最新の情報がリアルタイムで入ってくる訳ではなかった。
ファインダーの中でだんだん大きくなってくるキハが、どう見ても朱色ツートン。
「まさか、米子の128号車がやってきたのか??」
カメラを構えつつ、<変態鉄>のアタマには「?」マークが大量に並んで...
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
いや、まさか、だった。
もう、たまげるしかなかった。わずかな折返し時間。無我夢中で...
【2004年8月】 大糸線・南小谷駅
大糸線はワンマン運転。折返し準備の運転士さんに声をかけて、教えていただいたのは、少し前に塗装変更したとのこと。
そう、鉄道誌の記事でそのことを知るのは、もっと後だったのである。
…… ……
このとき撮った115号車、いまも津山の扇形庫で休んでいるのである。
【2016年6月12日11時37分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館
あの貨物も撮りたいし、岡山に出かけたくてウズウズしている。本当は...
状況がゆるせば、今週は倉敷に居たはずなのに...嗚呼。
出るのは溜息だけ。2021年もまもなく3分の2が終わろうとしている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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