ニシとヒガシ?? ~ ちょっと思ったこと ~ [その他の<鐵>話]
<変態鉄>は関西大手私鉄を撮ることが少ない。
だから、<鉄>のクセして車輌形式も全く分からず。そう、その際たるのが近鉄。
<鉄>の会話の中で“ワインレッドに白いヤツは好きだけど...”みたいな感想を
述べて、白い目で見られる。そういうレベルの<鉄>である。
さて、関西と関東はいろいろな面で比較されることもあって。
ちなみに、これからの季節、レトルトではあっても<変態鉄>も夕食に「おでん」
ということもある。でも...
実家に居た時代、うちの母もよく作っていた。
(大きな鍋でつくっておけば数日間、使い回せるから...だと思うが)
でも、頑なにあの人気具材は入れなかった。
何が良いのか分からないとか、挙げ句の果ては気持ち悪いとか。
それは...
「ちくわぶ」、うちの母は兵庫県明石市の出身。
「昔、“ちくわぶ”なんて無かった」「私は知らなかった」と頑なに。
(※ 意見には個人差があります)
だから、東京で育った<変態鉄>も、大人になって外でおでんを食べる機会が
できるまでは「ちくわぶ」の存在を知らなかった。
さらには、その「おでん」、関西ではどうやら「関東煮(だき)」と呼ぶことも
あるそうで。
そんなわけで<鉄>の話題に。
【2010年10月28日11時30分】 阪急伊丹線・伊丹駅
昨日、ツイッターを見ていて、いろいろな方が阪急電車の写真を上げていて。
<変態鉄>のツイッターのタイムラインにもアレコレ。
でも、関西私鉄をろくに撮ったことのない<変態鉄>。
その写真を眺めていたのだが...
思い出した。伊丹空港に行くとき、わざわざ阪急伊丹駅から路線バスで...
(素直に梅田か阿部野橋からリムジンバスにすれば良いのに...)
…… ……
それが冒頭の写真。
これを撮ったのがちょうど10年前のことだった。あれから10年。
伝統の“阪急マルーン”の塗色は変わっていないけれど、新車の導入と
それから古い車輌はコンスタントにリニューアル工事が進められているみたいで
正面貫通扉上に2球の前照灯、標識灯・尾灯は肩のところにあって、スッキリした
前面の“阪急顔”の電車もいまでは見かけなくなったみたい。(← テキトーな発言)
この顔の阪急電車、やはり、落ち着くのだが...
最近の、肩のところに白いラインのある電車も決して悪くないが。
【2002年頃】 阪神西大阪線・西九条駅
これを見ていて気になったのは「前面方向板」。
側サボはJRでも長らく使われていた(いる)が、この「前面方向板」を
常用する路線は...
これは2003年頃?? まだ、阪神西大阪線が西九条駅発のローカル線だった頃。
と、思って書いてから写真をよく見れば...
この立体感の無さ。もしかして、ステッカー???
2000年代に入っても関西大手では少数ながら、こういう姿が見られた。
【2001年頃】 高松琴平電鉄琴平線・高松築港-片原町
もちろん、こちらも当然。
いまではレトロ電車と1070形だけしか使わなくなっており。
でも、ことでんだって「前面方向板」。
翻って、関東ではどうだろうか??
<鉄>な本で見ることはあったが、関東で「前面方向板」を使っていた電車??
90年台にはいって、<変態ガキ鉄>がカメラ片手に歩きまわるようになった頃、
関東に残っていただろうか!?
【1991年4月21日】 東京都交通局荒川線・三ノ輪橋電停
「そっくりさん」と言われた岐阜の電車は最後まで「新岐阜 - 忠節」の方向板を
指していたが、本家本元の都電6000形は最初から方向幕付き。
路面電車も方向幕車が多い印象。
【2020年7月12日14時56分】 東京都新宿区西落合・ホビーセンターカトー東京店
だから「前面方向板」といえば、こういう世代まで戻って!?
「う~ん??」と悩んでいたのである。
今日も仕事中、アタマの中では「関東で前面方向板といえば...」とボーーッと
考えていたのである。(だから仕事が進まない)
意外と多かった気がするのは...
【1991年6月16日】 鶴見線・海芝浦駅
前面窓内側に行き先を書いたボードを挟むタイプ。
JR鶴見線に最後まで残った旧型国電、クモハ12形もそうしていた。
前面サボ受けはあるのに...である。
確か、小学生の頃、時折乗った東急目蒲線の緑色の旧型電車もそうだった。
と、思いついたのが、こちら。
【2015年11月29日12時26分】 江ノ島電鉄・江ノ島駅
僚車の305-355編成は“いまなお現役”。
いまも方向板付きで走っている。そう、江ノ電の旧型車。
はて、大手となると!?
【1994年頃】 東急世田谷線・撮影地不詳
もしかしたら、これが最後の存在だったのか??
高校生の頃、通学で毎日利用した東急世田谷線の旧型車たち。
70形と80形は「三軒茶屋 - 下高井戸」が挿されていた。
たまに...ごく稀に「 上 町 」を見るとコーフンしたものである。
それにしても、江ノ電にしても世田谷線にしても、細長くて...
まるで側サボを前面に使ったみたい。
イベントなどではなく、通常運用で常用するのは、これが最後だったのだろうか??
【2015年2月13日13時00分】 東京都日野市・京王れーるランド
それでも、2000年台に入るまで「前面方向板」の名残はあった。
そう、前面貫通扉につけられた小さな縦長の方向幕。京王5000形も...
何と言っても、わが地元、井の頭線3000形も!!
ツイッターの流れから、そんなことを考えていた<変態鉄>だった。
それにしても、関東私鉄での「前面方向板」常用車って、最後は...???
ということで、明日は再び「ことでんレトロ」の話題を...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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だから、<鉄>のクセして車輌形式も全く分からず。そう、その際たるのが近鉄。
<鉄>の会話の中で“ワインレッドに白いヤツは好きだけど...”みたいな感想を
述べて、白い目で見られる。そういうレベルの<鉄>である。
さて、関西と関東はいろいろな面で比較されることもあって。
ちなみに、これからの季節、レトルトではあっても<変態鉄>も夕食に「おでん」
ということもある。でも...
実家に居た時代、うちの母もよく作っていた。
(大きな鍋でつくっておけば数日間、使い回せるから...だと思うが)
でも、頑なにあの人気具材は入れなかった。
何が良いのか分からないとか、挙げ句の果ては気持ち悪いとか。
それは...
「ちくわぶ」、うちの母は兵庫県明石市の出身。
「昔、“ちくわぶ”なんて無かった」「私は知らなかった」と頑なに。
(※ 意見には個人差があります)
だから、東京で育った<変態鉄>も、大人になって外でおでんを食べる機会が
できるまでは「ちくわぶ」の存在を知らなかった。
さらには、その「おでん」、関西ではどうやら「関東煮(だき)」と呼ぶことも
あるそうで。
そんなわけで<鉄>の話題に。
【2010年10月28日11時30分】 阪急伊丹線・伊丹駅
昨日、ツイッターを見ていて、いろいろな方が阪急電車の写真を上げていて。
<変態鉄>のツイッターのタイムラインにもアレコレ。
でも、関西私鉄をろくに撮ったことのない<変態鉄>。
その写真を眺めていたのだが...
思い出した。伊丹空港に行くとき、わざわざ阪急伊丹駅から路線バスで...
(素直に梅田か阿部野橋からリムジンバスにすれば良いのに...)
…… ……
それが冒頭の写真。
これを撮ったのがちょうど10年前のことだった。あれから10年。
伝統の“阪急マルーン”の塗色は変わっていないけれど、新車の導入と
それから古い車輌はコンスタントにリニューアル工事が進められているみたいで
正面貫通扉上に2球の前照灯、標識灯・尾灯は肩のところにあって、スッキリした
前面の“阪急顔”の電車もいまでは見かけなくなったみたい。(← テキトーな発言)
この顔の阪急電車、やはり、落ち着くのだが...
最近の、肩のところに白いラインのある電車も決して悪くないが。
【2002年頃】 阪神西大阪線・西九条駅
これを見ていて気になったのは「前面方向板」。
側サボはJRでも長らく使われていた(いる)が、この「前面方向板」を
常用する路線は...
これは2003年頃?? まだ、阪神西大阪線が西九条駅発のローカル線だった頃。
と、思って書いてから写真をよく見れば...
この立体感の無さ。もしかして、ステッカー???
2000年代に入っても関西大手では少数ながら、こういう姿が見られた。
【2001年頃】 高松琴平電鉄琴平線・高松築港-片原町
もちろん、こちらも当然。
いまではレトロ電車と1070形だけしか使わなくなっており。
でも、ことでんだって「前面方向板」。
翻って、関東ではどうだろうか??
<鉄>な本で見ることはあったが、関東で「前面方向板」を使っていた電車??
90年台にはいって、<変態ガキ鉄>がカメラ片手に歩きまわるようになった頃、
関東に残っていただろうか!?
【1991年4月21日】 東京都交通局荒川線・三ノ輪橋電停
「そっくりさん」と言われた岐阜の電車は最後まで「新岐阜 - 忠節」の方向板を
指していたが、本家本元の都電6000形は最初から方向幕付き。
路面電車も方向幕車が多い印象。
【2020年7月12日14時56分】 東京都新宿区西落合・ホビーセンターカトー東京店
だから「前面方向板」といえば、こういう世代まで戻って!?
「う~ん??」と悩んでいたのである。
今日も仕事中、アタマの中では「関東で前面方向板といえば...」とボーーッと
考えていたのである。(だから仕事が進まない)
意外と多かった気がするのは...
【1991年6月16日】 鶴見線・海芝浦駅
前面窓内側に行き先を書いたボードを挟むタイプ。
JR鶴見線に最後まで残った旧型国電、クモハ12形もそうしていた。
前面サボ受けはあるのに...である。
確か、小学生の頃、時折乗った東急目蒲線の緑色の旧型電車もそうだった。
と、思いついたのが、こちら。
【2015年11月29日12時26分】 江ノ島電鉄・江ノ島駅
僚車の305-355編成は“いまなお現役”。
いまも方向板付きで走っている。そう、江ノ電の旧型車。
はて、大手となると!?
【1994年頃】 東急世田谷線・撮影地不詳
もしかしたら、これが最後の存在だったのか??
高校生の頃、通学で毎日利用した東急世田谷線の旧型車たち。
70形と80形は「三軒茶屋 - 下高井戸」が挿されていた。
たまに...ごく稀に「 上 町 」を見るとコーフンしたものである。
それにしても、江ノ電にしても世田谷線にしても、細長くて...
まるで側サボを前面に使ったみたい。
イベントなどではなく、通常運用で常用するのは、これが最後だったのだろうか??
【2015年2月13日13時00分】 東京都日野市・京王れーるランド
それでも、2000年台に入るまで「前面方向板」の名残はあった。
そう、前面貫通扉につけられた小さな縦長の方向幕。京王5000形も...
何と言っても、わが地元、井の頭線3000形も!!
ツイッターの流れから、そんなことを考えていた<変態鉄>だった。
それにしても、関東私鉄での「前面方向板」常用車って、最後は...???
ということで、明日は再び「ことでんレトロ」の話題を...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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