ファンタゴンレッドな日々。18年ほど前の高松琴平電鉄 <後編> [高松琴平電鉄]
今朝は退院する母を迎えに病院に行って。
バタバタしているうちに1日が過ぎてしまった感じ。仕事は、またまた遅れ気味。
だんだん追い込まれてきているのである。
【2019年5月3日7時45分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所付近
昨日に引き続き、ことでん、高松琴平電鉄の2002年頃の写真を。
左側、23号車が纏うファンタゴンレッドが90年代までのことでんの標準色。
一方、右側は2000年代に入ってからの琴平線カラー。
黄色は「こんぴらさん」の色である。
ちょうどファンタゴンレッドの電車が少しずつ減っていく時期だった頃、
激変の時が目前に迫った時期の撮影である。
…… ……
ことでんの車輌が路線別のカラーになったのは2000年代に入って間もなく。
瓦町駅を建て替えてに大手デパートを誘致したのが...
その際のアレコレ(債務保証)が原因で高松琴平電鉄が経営破綻。
鉄道会社として初めての民事再生(2002年)となったことがキッカケ。
【2019年5月3日8時12分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所付近(許可を得て撮影)
「“琴電”は必要(= いる)か??」という問いかけが元になったのが
イルカ駅員の“ことちゃん”の誕生秘話...というのは、<鉄>の間では有名な話。
経営陣の交替などもあって、2006年に再生完了。
合わせて、この間に老朽化が進んでいた車輌の置き換えや駅の増設、その他の
施設更新が補助を受けて進められ。
<変態鉄>が岐阜の路面電車などに夢中になっている間に、冷房装置の付いた
18メートル級(旧型電車より一回り大きい)電車に統一されていった。
<変態鉄>が高松琴平電鉄を撮りに行ったのは、ちょうど、瓦町駅ビルが完成して
電車の塗色が、そのデパートの包装紙のデザインに変更されていた時期。
名古屋市交通局の電車を中心に冷房車がデビューしつつあっても、朝夕ラッシュを
中心に旧型の吊り掛け電車も定期運用で走っていた時代。
そのあとは2015年に、航空会社の株主優待券が期限切れになりそうだった5月、
「何か、無いかなぁ...」と、それくらいの軽薄な動機で訪れて、あの4両に
魅せられて以来。その「2期」に別れている。
その“前期”に撮影した写真。たぶん、2002年前後だと思うのだが...
ということで、2000年代に入ってすぐの頃の高松琴平電鉄の模様を。
引退まで、何とかもう一度、長尾線レトロを撮りたい...と願っている。
さて、昨日の記事でご紹介した電車の折返し。
今度こそ、長尾ゆきとしてやって来たのである。前側は、いまもレトロ電車の
一員として走る120号車。もちろん、ファンタゴンレッドの時代である。
「串パンしているじゃないか!!」と言うことなかれ。当時の<変態鉄>の腕前では
走っている電車をファインダーの中で写し止めているだけで、もう“傑作”の部類。
ちなみに、後ろ側の電車は車体断面が違っているが、こちらは玉野市営電車から
移籍してきた760号車。この電車は廃車後、その“出身地”である玉野に戻って
保存されていたはず。水臨の“ついで”に見に行きたいのだが、公共交通の便が
良い場所では無く、しかも、公開日と自分が行ける日が重なることが無く、
何年間も“棚上げ”になっているのである。
踏切標識の後ろに隠れて見える赤い看板は総合スーパー“SATY”のもの。
これもいまでは見ることができない。
「何だぁ、京急車か...」と、当時はそんな感じでテキトーに撮っただけ。
1080形は当時の<変態鉄>にとっては完全に興味の対象外。
でも、この写真、よく見れば1080形の4両編成のような...
朝ラッシュのピークを過ぎて、仏生山入庫となる列車だろうか。
カラーだけが懐かしくて、いまでも撮れる...と思われがちな1枚だが、時間が経つと
こういう1枚でも貴重な記録になる訳で。
まず、いまも琴平線には4両編成の運用があるのは同じだが、1080形だけに揃って
いる“編成美”は狙って撮れるものでは無い。異形式混結が多いのである。
いやいや、そんなことだけではなくて...
この1089号車の編成、この数年後の台風のとき、高松築港駅付近で高潮の被害を
受けており、その後、修理して復帰したものの、どうやら状態不良車になって
しまったらしく、いまから10年ほど前に廃車になっている。
こちらは...
当時、こういう張り上げ屋根の近代的なつくりの電車は興味の対象外だった。
それにしても、勿体ないことをしたもの。1015号車というのは三岐鉄道出身
だっただろうか。(← 曖昧な記憶に基づくテキトーな記述)
昨日の記事の120号車の写真と違って、こちらの方向板は「高松築港ゆき」のまま。
折返しは、やはり(?)、仏生山入庫の運用だった。
側窓が全開なのは、コロナ対策のためではない。(当たり前!!)
あくまで非冷房だったから。
…… ……
写真を見直せば見直すほど、あの当時、もっと夢中になって、ことでんを
撮っておけば良かった...後悔しかない。
でも、当時の<変態鉄>。ことでんの撮影はこれくらいにして、土讃線キハに
乗りに行くのがルーティンのようになっていた。確かお昼前に立て続けに2本、
キハ58+キハ65編成の阿波池田ローカルがあった。
当時のJR四国の車掌さんは普通列車でも「四国チャイム」を鳴らして車内放送
することが多く。<車内放送マニア>としては、そちらを録りに行かずには
居られなかったのである。
そういえば...
ことでん撮影で高松の街を歩いていたとき、住宅街の中で突如として遭遇した
スユニ50形にはビックリした。
「なぜ、ここに客車が??」と、慌ててカメラを取り出したのだった。
…… ……
まさか、それから20年近く経って、また旧型電車を撮りに高松に通うとは
当時、まったく予想していなかった。
ただただ「消えゆく旧型電車を1枚でも撮っておこう」というだけ。
【2018年5月3日16時45分】 高松琴平電鉄琴平線・仏生山駅
夕陽を浴びて焦げ茶色の車体が輝く300号車。この姿を、あと何回撮れるのか?
そう思いながら、何とか来月、高松を訪問できることを願っているのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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バタバタしているうちに1日が過ぎてしまった感じ。仕事は、またまた遅れ気味。
だんだん追い込まれてきているのである。
【2019年5月3日7時45分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所付近
昨日に引き続き、ことでん、高松琴平電鉄の2002年頃の写真を。
左側、23号車が纏うファンタゴンレッドが90年代までのことでんの標準色。
一方、右側は2000年代に入ってからの琴平線カラー。
黄色は「こんぴらさん」の色である。
ちょうどファンタゴンレッドの電車が少しずつ減っていく時期だった頃、
激変の時が目前に迫った時期の撮影である。
…… ……
ことでんの車輌が路線別のカラーになったのは2000年代に入って間もなく。
瓦町駅を建て替えてに大手デパートを誘致したのが...
その際のアレコレ(債務保証)が原因で高松琴平電鉄が経営破綻。
鉄道会社として初めての民事再生(2002年)となったことがキッカケ。
【2019年5月3日8時12分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所付近(許可を得て撮影)
「“琴電”は必要(= いる)か??」という問いかけが元になったのが
イルカ駅員の“ことちゃん”の誕生秘話...というのは、<鉄>の間では有名な話。
経営陣の交替などもあって、2006年に再生完了。
合わせて、この間に老朽化が進んでいた車輌の置き換えや駅の増設、その他の
施設更新が補助を受けて進められ。
<変態鉄>が岐阜の路面電車などに夢中になっている間に、冷房装置の付いた
18メートル級(旧型電車より一回り大きい)電車に統一されていった。
<変態鉄>が高松琴平電鉄を撮りに行ったのは、ちょうど、瓦町駅ビルが完成して
電車の塗色が、そのデパートの包装紙のデザインに変更されていた時期。
名古屋市交通局の電車を中心に冷房車がデビューしつつあっても、朝夕ラッシュを
中心に旧型の吊り掛け電車も定期運用で走っていた時代。
そのあとは2015年に、航空会社の株主優待券が期限切れになりそうだった5月、
「何か、無いかなぁ...」と、それくらいの軽薄な動機で訪れて、あの4両に
魅せられて以来。その「2期」に別れている。
その“前期”に撮影した写真。たぶん、2002年前後だと思うのだが...
ということで、2000年代に入ってすぐの頃の高松琴平電鉄の模様を。
引退まで、何とかもう一度、長尾線レトロを撮りたい...と願っている。
さて、昨日の記事でご紹介した電車の折返し。
今度こそ、長尾ゆきとしてやって来たのである。前側は、いまもレトロ電車の
一員として走る120号車。もちろん、ファンタゴンレッドの時代である。
「串パンしているじゃないか!!」と言うことなかれ。当時の<変態鉄>の腕前では
走っている電車をファインダーの中で写し止めているだけで、もう“傑作”の部類。
ちなみに、後ろ側の電車は車体断面が違っているが、こちらは玉野市営電車から
移籍してきた760号車。この電車は廃車後、その“出身地”である玉野に戻って
保存されていたはず。水臨の“ついで”に見に行きたいのだが、公共交通の便が
良い場所では無く、しかも、公開日と自分が行ける日が重なることが無く、
何年間も“棚上げ”になっているのである。
踏切標識の後ろに隠れて見える赤い看板は総合スーパー“SATY”のもの。
これもいまでは見ることができない。
「何だぁ、京急車か...」と、当時はそんな感じでテキトーに撮っただけ。
1080形は当時の<変態鉄>にとっては完全に興味の対象外。
でも、この写真、よく見れば1080形の4両編成のような...
朝ラッシュのピークを過ぎて、仏生山入庫となる列車だろうか。
カラーだけが懐かしくて、いまでも撮れる...と思われがちな1枚だが、時間が経つと
こういう1枚でも貴重な記録になる訳で。
まず、いまも琴平線には4両編成の運用があるのは同じだが、1080形だけに揃って
いる“編成美”は狙って撮れるものでは無い。異形式混結が多いのである。
いやいや、そんなことだけではなくて...
この1089号車の編成、この数年後の台風のとき、高松築港駅付近で高潮の被害を
受けており、その後、修理して復帰したものの、どうやら状態不良車になって
しまったらしく、いまから10年ほど前に廃車になっている。
こちらは...
当時、こういう張り上げ屋根の近代的なつくりの電車は興味の対象外だった。
それにしても、勿体ないことをしたもの。1015号車というのは三岐鉄道出身
だっただろうか。(← 曖昧な記憶に基づくテキトーな記述)
昨日の記事の120号車の写真と違って、こちらの方向板は「高松築港ゆき」のまま。
折返しは、やはり(?)、仏生山入庫の運用だった。
側窓が全開なのは、コロナ対策のためではない。(当たり前!!)
あくまで非冷房だったから。
…… ……
写真を見直せば見直すほど、あの当時、もっと夢中になって、ことでんを
撮っておけば良かった...後悔しかない。
でも、当時の<変態鉄>。ことでんの撮影はこれくらいにして、土讃線キハに
乗りに行くのがルーティンのようになっていた。確かお昼前に立て続けに2本、
キハ58+キハ65編成の阿波池田ローカルがあった。
当時のJR四国の車掌さんは普通列車でも「四国チャイム」を鳴らして車内放送
することが多く。<車内放送マニア>としては、そちらを録りに行かずには
居られなかったのである。
そういえば...
ことでん撮影で高松の街を歩いていたとき、住宅街の中で突如として遭遇した
スユニ50形にはビックリした。
「なぜ、ここに客車が??」と、慌ててカメラを取り出したのだった。
…… ……
まさか、それから20年近く経って、また旧型電車を撮りに高松に通うとは
当時、まったく予想していなかった。
ただただ「消えゆく旧型電車を1枚でも撮っておこう」というだけ。
【2018年5月3日16時45分】 高松琴平電鉄琴平線・仏生山駅
夕陽を浴びて焦げ茶色の車体が輝く300号車。この姿を、あと何回撮れるのか?
そう思いながら、何とか来月、高松を訪問できることを願っているのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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